かわまりの映画評と創作

読書ルームではノンフィクションと歴史小説を掲載

ひと休み (その2)

さて、今に至るまでわりと急ピッチでノンフィクション「プロメテウス達よ 〜 原子力開発の物語」と歴史小説の「黄昏のエポック」を掲載してまいりました。さぞかし大変だっただろうと思われるかもしれませんが答えは「Yes 」または「No」です。なにしろこの二つの作品の掲載について今のわたしgやっていることといったらUSBメモリーにMSワードの形式で保存した文書をコピーペーストするだけ、手を加えるとしても改行に注意したり稀には誤字脱字を修正するしかないのです。これをお聞きになって「うわー! 著作権侵害行為!」だの「剽窃!」、「盗作」だの叫ばれるのは勝手です。ただ歴史小説の方は約15年前、ノンフィクションの方は10年ちょっと前に最初から最後まで自分の手によって完成させ、今になってようやくまるで他人が書いたものをタダでいただくような楽ちんな掲載をしているといっても元々自分で書いた作品である以上、どう逆立ちしても盗作でも剽窃でもなく、ましてや著作権侵害ではないのです。

 

思えば21世紀に突入し、グローバリゼーションバブルの崩壊した国際都市ニューヨークに住み、勤めていた金融機関系シンクタンクアメリカから撤退した時にどうにかして日本語を書くことと英語を読むことで食べていけないかと以前から関心のあった原子力開発の経緯についての英書や英詩を読み漁ってこの2つの作品と純粋に日本語の作品2作を書き上げ、どうやったら出版してもらうことが可能か考え、またいくつかの徒労に終わっただけの試みを実行した頃、何故か日本語と英語の両方が必要とされる仕事の話しが持ち込まれるようになり、好むと好まざるとにかかわらず、口に糊することが優先となって昨今に至っています。昨今は詳しい経緯は省略しますが、金銭的には比較的余裕があり、今こそ一度は挫折した読んで書いてできたら稼ぐ生活を始めたいと考え、まず自分自身の著作権確保のために今までに書いた四つの作品をアマゾンKDPから電子出版、そして関心を持ってくださる方には無料で読んでいただこうということでハテナブログをお借りして連載を始めました。

 

目下のところ一回あたり2000 〜 2500文字を目安に惜しみながら、かつ楽しみながら掲載している状況ですが一度に大量に掲載しない理由は正にこれを最後にしたくないくもっと書きたいという一念に尽きます。次のテーマなどが決まるまでの時間が欲しいのです。なお、わたしが著述で食べていけるかどうかはこれらの作品のオリジナリティにかかっていると思います。作品中に上付で記されているローマ数字はアマゾンKDPで発表した電子版では出典を意味していてクリックするとそこに飛ぶようになっていますのでアマゾンから有料ダウンロードしてくださった方は是非ご覧ください。もっともそれらの書籍は全て英書なので日本アマゾンから入手できるかどうかは不明です。また本ブログでわたしの作品を読んでくださっている方は書店や図書館で類似の書籍を探して「〇〇氏の著作権を侵害しているぞ!」と糾弾できるようならお願いします。ただ、わたしは執筆期間中を通じてニューヨークで極貧状態にあって日本に一時帰国することも紀伊國屋書店で英書の邦訳を購入することもままならなかったことを考慮してください。ではまた当時のわたしの苦境と苦労を偲びながら楽ちんなコピペ作業に戻ることにします。以上、次に進む前にどうしても皆さまに知っていただきたかったことでした。

(「第六話 若き貴公子」に続きます。)

ひと休み (その1)

二作目の「黄昏のエポック」の連載も中間地点を過ぎましたが、疾風怒濤のような主人公の生涯を順不同(実際はそのつもりではないのですが)に描いて主人公の創作と活動の分枝点となった1816年の出来事と人生の方向を決定づけた東方への卒業旅行を描いた後の第五話は間奏曲(インテルメッツォ)かもしれません。少なくともこの挿話には隣家のチョワーズ家の呪いの他に読者の気持ちを揺さぶる要素はないと思います。

 


わたしは常々、仕事にはこの世に於いて日々の糧を得るためのものとその成果をあの世に持っていけるものとがあると思っています。その両方を一度に手に入れられる人が少なくとも仕事について幸せな人に違いないのですが、「黄昏のエポック」バイロン郷は貴族でもあり、大伯父から受け継いだ領地からの小作料を生活の糧とし、10代の頃から自己実現の手段とは切り離していたようです。では10代で目覚めた詩作の才能はどうかというと、少なくとも当初は自らの天職だという認識はなく、ノエル子爵家の令嬢との婚姻と破局によって得た莫大な資産とそこからの収益を得た彼の人生の後半においても詩作を(卑近な言い方をすれば)メシのタネではありませんでした。では詩作を除いてバイロンは何が自分の転職だと考えているのかと言えば、それは社会改革ではないかと思われるのです。そしてバイロンは第二話で描かれたような残酷な経緯で妻と愛娘からだけではなく、イギリスの政界からも引き裂かれてしまうわけですが、第五話から第七話に至る三つの挿話ではバイロンがロマン的な詩作と社会改革の両者に邁進する姿が描かれます。

 


俳優が舞台や映画重要な役柄を演じて自分の演技がストーリーにぴったりハマって観客に明らかに感銘を与えた時と役をもらってギャラが決まった時はどちらも嬉しいでしょう。医師がもう駄目かと思った患者に治療を施してその患者が完全に健康を取り戻した時と給与明細を受け取った時はどちらも嬉しいでしょうが、この2つの例ともに前者は〇〇やって冥利に尽きるというべきもので後者がもたらす喜びとは質が違います。こういったひとつの行為や努力で2度喜びを得る幸せな職業人は他にも色々あるでしょうが、残念ながらバイロンはそうではなかったようです。とはいうものの、学生時代から(おそらくですが)五千冊の書物を読破することを目指していたバイロンは詩作だけではなく散文でもある程度の才能を発揮し、彼の議会貴族院での演説はイギリス議会史でのトップ10に挙げられる名演説とされています。ですから、ウィキペディアバイロンの項目(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%B3?wprov=sfti1)では彼が随分と放埒な青春時代を送ったように書かれていますが、むしろ自分と自分の知力の限界に挑んだ強力な努力と集中の反動としてある程度ハメをはずすこともあったのだろうとわたしは推測しています。またバイロンは未成年から貴族の特殊な地位にあり、今とは異なり大学入学後成年に達した時からケンブリッジやオックスフォードのような一流大学では貴族の当主である学生は出席日数や期末試験の出来不出来に関わらず学位が授与されたようです。また腹違いの姉オーガスタとの関係もオーガスタが侍女として王室の人々にどれだけ信頼されていたのか、或いは彼女の知性や度量を鑑みた場合、ある程度抑制されたものだったと思います。

(続く)

新年、明けましておめでとうございます。

激動の2020年が終わった感想は「仕事納め」に書きましたが、今年は「禍(わざわい)転じて福となす」も「雨降って地固まる」もまだ少し早いけれど、いろんなことが起きて打撃を受けた人々が早く立ち直って、軽症で済んだ人々、社会に開けられた風穴を埋める形で繁栄のきっかけを掴んだ人々(例えばテレワークで能力を発揮した人や巣篭もり需要で利益を得た業種の人々等々)みんなが協力し合って未来を築く土台を固めていく年になればいいと思っています。わたしは昨年来取り組んでいる民族主義ロマン主義を浮き彫りにする物語を過去続けて なんらかの形で皆さまに燈火をもたらしたいです。

 

2021年1月2日

かわまり

【映画ルーム(160) 博士の異常な愛情 〜 古色蒼然の恐怖戯画… 6点】

【映画ルーム(160) 博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか 〜  古色蒼然の恐怖戯画… 6 点】 平均点:7.71 / 10点(Review 294人). IMDB. 8.4/10 点447,967人)  1964年【英・米】 上映時間:93分  クレジット(配役と製作者)などについては次のURLをご覧ください。  https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=1213   

 

このブログの内容全ての著作権はかわまりに帰属し、映画タイトルの次、"〜"のすぐ後ろのキャッチコピー、【独り言】と【参考】を除く部分の版権はjtnews.jp に帰属します。平均点とレビューワー数はアップロード時のものです。

 

【あらすじ】

冷戦の時代。米空軍のリッパー将軍は実は精神異常である。彼は独断で攻撃命令を出し、水爆を搭載した十数機の爆撃機が無線を封鎖してソ連へと向かう。事態を知った米大統領は対策会議を招集するが、ソ連大使が驚くべき報告をする。ソ連には核攻撃を受けると自動的に全世界に核ミサイルを発射する報復システムがあり、その解体は不可能だという。ドイツ人科学者ストレンジラブ博士もその存在を肯定する。爆撃機を呼び戻す暗号を知るのは基地にろう城するリッパーだけだった。人類の脅威を描いたらブラックコメディーになってしまいました。【元】さん(2004-03-25  【元】さんは以前は多くのあらすじやレビューを「みんなのシネマレビュー」に掲載していらっしゃいましたが今ではレビューワーのページを拝見しても数作のレビューを残して無くなってしまっています。別名で戻ってこていらっしゃるといいです。

 

【あらすじ2】

ソ連は極秘に大量殺戮兵器「皆殺し」を開発し、完成させたという。しかし、だれもこのことは知らない。ある日、アメリカ軍の司令官が突如発狂し、水爆搭載の飛行機にソ連基地への爆撃指令を行なった。司令官の命令に不審を感じた副官は異を唱えるが逆に監禁されてしまう。事態に気づいた政府はなんとか防ごうと躍起になるが・・・  【ヴァッハ】さん のページ https://www.jtnews.jp/cgi-bin/revper.cgi?REVPER_NO=23588

 

【かわまりのレビュー】

この手の作品(ブラック・コメディー)としては高い平均得点を獲得しています。アメリカの同様のサイトのIMDBではさらに高い平均点ですがどちらを取っても冷戦終結の前につけられた点数ではないです。しかし、昨今の生物兵器ではないかと言われる567禍では古色蒼然…かもしれません。何しろ、核兵器は殺して破壊するしか能がありませんが世界征服を企む輩は所有し、服従させなければならず、しかも出来たら密かにそれを成し遂げようと画策するのです。こんなことを書くとなんだかわたしが新時代のリッパー将軍みたいなな被害妄想狂のようですが、現に今時点では「あの頃はなんで核兵器なんか怖がっていたのだろう。結局、何も起きなかった。」と古今の感があります。ただ為政者が発狂でもすれば核兵器はやはり怖いし、その後ぞろぞろ出現したサイバーテロ同時多発テロなど心配の種は尽きません。どなたか現代版(サイバー戦争+生物兵器)のブラック・コメディー映画を制作してくださることを切に望みます。チャップリンの「独裁者」の頃から悲惨な可能性は笑い飛ばさないとやっていけまないことになっているのです。閑話休題: この作品の終盤に登場する博士のモデルはハンガリー出身でナチスユダヤ人迫害を逃れてアメリカに亡命し、数名の同志と共にアインシュタインを動かしてアメリカ大統領に原子爆弾の可能性を告げる書簡を出し、後に「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラーという物理学者だそうです。広島・長崎に原爆が投下され、原爆の秘密をソ連に盗まれた後、さらに水爆をアメリカ政府が開発するかどうかを決定する際、殆どの科学者達が「試すだけならともかく軍備としてはもういいよ。」という立場だったのにテラーだけが軍備としての水爆開発を強く推したのです。結果、テラーはノーベル賞受賞を逃した、とわたしは思っています。

 

10点の人のレビュー

https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?POINT=11&TITLE_NO=1213 (こんなに多くの人が満点!!)

 

底得点の人は一人だけご登場願います。お2人が1点、4人の方が2点をつけました。

いいたいことはわかるが、悪ふざけ的な印象。「When Johnny Comes Marching Home」の音楽を多用しているが、これはこの音楽に対する侮辱とみた。キューブリックは肌に合わない。
【風小僧】さん 1点

 

【参考】

エドワード・テラー (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%BC?wprov=sfti1

 

【読書ルーム(145)〜(150) プロメテウス達よ 〜 原子力開発の物語 第6章 冷戦】

 https://kawamari7.hatenablog.com/entry/2020/02/20/092545 (145) 

仕事納めです(その2)。

2020年は年の初め、正確に言えばわたしたち一般人にとっては旧暦の新年が終わったその時から新型コロナウィルスの脅威に社会全体が晒されることになりました。そしてアメリカや西ヨーロッパ、発展途上国などは未だに多数の感染者と死者が出て日本でもコロナウィルスの完全封じ込めからは程遠い状況が続いています。そして冷戦と核の脅威の時代を通じて物心ついた子供から成年前半期を過ごし、由縁あって原子力開発に関心を持ってしまったわたしは「ああ、核兵器は抑止力としては有効かもしれないけれど、もはや時代遅れなんだ。」という感慨があります。世界は生物兵器サイバー攻撃に怯える時代になってしまったようです。

 

このことは世界人類が新たな難しい段階に突入してしまったことを意味するようですが、ともあれ核兵器は長崎にプルトニウム爆弾が投下されたのを最後に抑止力としてしか機能しないようになり、裏を返せば抑止力として大変良く機能して現在に至っているわけです。そして今年も押し詰まった頃、ハヤブサ2号が小惑星リュウグウから地球に接近して玉手箱を人類に手渡してから新たなミッションに旅立つという一大快挙を成し遂げました。核弾頭数千発を誇示して他国の攻撃を抑止するのは自国民に病気や飢餓や不自由を押し付けない限り勝手かもしれませんが、われわれ日本国民はそういった不都合に見舞われることなく遠隔操作技術や材料工学などの最先端を駆使してハヤブサ2号を地球と宇宙の間のシャトルのミッションに送り出すことに成功しました。これは核弾頭数千発を誇示するよりも遥かに強力なメッセージであり、力の誇示であり、わたし達が抱くロマンの誇示です。

 

今年起きたコロナ禍がもたらしたもののひとつにグローバリズムの終焉があります。利潤を求めて自国から海外に進出した先進国の企業の多くがコロナ禍の下、自国に戻ったり、戻ろうとしています。全時代のグローバリズムによって経済発展という恩恵を受けた発展途上国は多かったわけですが、コロナは目に見えない人類の宿敵に立ち向かうためには一転、人類は文化・国境を越えて移動すことを止めて文献化した地方の権威が大きな力を持つべきだということを教えてくれました。内に篭って国境を閉ざすことがひいては全体の利益に繋がる、それは目先の利潤を自国に持ち帰り末端に至る国々が経済発展という目先の恩恵を享受するのではなく、人類の生命の根幹に関わる防衛に繋がるということを教えてくれたように思います。そしてそのことは利潤や生産性などといった物質的な恩恵の伝播ではなく、普遍的価値の伝播といったナポレオンやバイロンの時代のグローバリズムに形を変えて回帰していくことが手段のひとつではないかとわたしは思うのです。

 

というわけで、現在アップロード中の「黄昏のエポック」はナポレオンを崇拝していたバイロンがスペインの民衆の「ナポレオンは余計なお世話。スペインの未来はわれわれスペイン人が決める!」という強烈な民族自決の精神に触れ、かつ自由の伝統を育むイスラム教徒に抑圧されたギリシアを見聞したところで前半を終えます。後半ではバイロンのイタリアの民族主義との関わりが核になるのですが、その前に階級が固定したイギリスで彼がどのようにして一見近代を先走っているかのようなイギリスで上記のような人々の文化と魂に触れることができる叡智を養って行ったかをまず描きます。

 

では良いお年をお迎えください。

仕事納めです(その1)。

激動の2020年も余すところたった四日となり、本日アップ分でキリが良いので本ブログ本年の仕事納めとさせていただきます。ブログを開始して約一年半になりますが、当初は1日に2、3人、多くて10人ほどだった訪問者も最近では1日に最低20人、多い時には100人超になっています。みなさんがわたしのブログのどんな内容を読みにきてくださるのかは未だコメントがないのでわからないのですが、全体の9割を占めるハテナブログのホームページ経由で来てくださる方々は一応、映画ルーム(111)の「カルテット」からと読書ルーム(49)の「プロメテウス達よ」の「第二章 新時代の錬金術師達」の真ん中あたりから入室してくださる方が半々のようです。後者は原子力開発に(それとは知らず)携わる科学者達が運命に導かれるままにアメリカやアメリカの同盟国、あるいは中立国にあるものは危険さえ犯して集結していく様をちょっとしたサスペンス風に描けたのではないかと思っていて、その端緒の部分です。映画ルームの「カルテット」の方がなぜ入り口になっているのかは不明ですがどちらも共通しているのは連載中の「黄昏のエポック」の直近のアップロードに辿り着くのが簡単だということです。

 

皆様、わたしの映画評をガラガラポンしてお正月中に鑑賞する映画作品を決めるなど、わたしのブログを活用してください。また母体である「みんなのシネマレビュー」も宜しく。創作のノンフィクションと歴史小説については2020年を振り返って今年最後になる次のエントリーで触れてみます。


新年からアップ開始の「黄昏のエポック 第5話」以降も乞うご期待! 

 

前のエントリーでは全200ページ(全10話 MSWORD)中89 ページ目前後を掲載しています。アマゾンキンドルをお持ちで先を早く読みたい方は投げ銭のつもりで約200円で有料ダウンロードしてください。その他の方は日本企業がキンドルを超える電子書籍リーダーを発売するまで有料ダウンロードはお待ち下さい。本ブログにアップロードしながら全力で編集・改訂し、アマゾンからすでに有料ダウンロードされている方にはできたら無料でお贈りしたいです。なお編集・改定後は多少値上げします。

 

本作の目次はURL: https://kawamari7.hatenablog.com/entry/2020/11/17/190941 の後半 部分にあります。前半では執筆目的などを述べています。バイロン肖像画の他、本作品中で重要な役割を果たすパーシー・ビッシュ・シェリーとメアリー・シェリーのウィキペディアサイトへのリンクもこのエントリーにあります。

 

ノンフィクションの拙著「プロメテウス達よ〜 原子力開発の物語」も宜しく。目次はURL:  https://kawamari7.hatenablog.com/entry/2020/11/16/150333 の後半(前半は執筆動機) に掲げました。こちらの方は各章の細分化と「あらすじ」添付で苦戦しております。「黄昏のエポック」と同じく不完全ではありますがアマゾンから電子出版しています。

 

「かわまりの映画ルーム」は長らく映画評やあらすじを投稿させて頂いた「みんなのシネマレビュー (jtnews.jp)」へのささやかなお礼として「わたし個人の感想」を切り口として同サイトにご来場頂くために始めました。「みんなのシネマレビュー」は膨大な登録作品とレビューワーを抱えて、データベース機能が充実していますのでこれからも多くの登録作品と年に2、3度のレビューワー募集を通じてのレビューワー数を期待していますが、そのためには同サイトの運営資金源となる広告収入、つまりは閲覧者数の増加が望まれます。その意味で個人レビューワーや監督・俳優を軸として同サイトを含む総合映画サイトのポータル・サイトが増えると良いと考えています。なお、このハテナ・ブログの閲覧はハテナ・ブログの収益に繋がります。わたしの映画ルームは完全に趣味として無償でやっておりますが、ここでの映画タイトルに続く"〜"の後に続くのはわたし自身が創作したキャッチコピーなので今のところ本ブログ限定の趣味的創作ですが無断転載・使用はお控えください。皆様がキャッチコピーを参考にして良い映画に出逢われることを希望しています。映画評一覧は下のURLの下部で作成中です。

https://kawamari7.hatenablog.com/entry/2020/11/15/230548

 

本ブログサイトの「読書ルーム」とアマゾンからの電子版との一番大きな、また将来にわたって変わらないと思われる違いはブログ版はウィキペディアを始めとする外部サイトとの連携があり、また読者の皆さんからのご意見を投稿を通じて拝聴できることです。一方の電子出版では双方向性はありませんが、注や出典など不変の内容が多く含まれます。

【読書ルームII(47)  黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第四話 青い空、青い海 (一八○九年夏 ~ 一八一一年秋 ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス  11/18 )

このブログの内容全ての著作権はかわまりに帰属します。

 

バイロン、見ろ。あれがパルナッソス山だ。」こう言ったホブハウスの指差す先をバイロンは仰いだ。一行は馬を留めた。二十一歳のバイロンと二十二歳のホブハウスが見つめる先に、学問芸術の全てを司るアポロンが、ミューズと呼ばれるそれぞれが各学問と芸術を司る九人の女神と共に住まうといわれるパルナッソス山が、二人の青春の一頁を霊気で満たすかのようにそそり立っていた。


アポロン神よ、ミューズの神々よ、この男に栄光を授けたまえ!」ホブハウスは「アポロン神のようだ」と形容されるバイロンの、イギリスにいる頃とは異なる横顔を見つめながら無言のうちに祈らずにはいられなかった。バイロンアルバニアに上陸して以来、土地の習慣に敬意を表すると言って顔を剃ったことがなかった。
「見ろ!」と今度はバイロンがパルナッソス山のほうを指さした。ホブハウスが眼をこらすと、パルナッソス山の山頂から多くの鳥が麓をさして舞い降りて来ようとしていた。
「あれは鷹の群れに違いない。」とバイロンが言った。「吉兆だ。君にも僕にも。」


十二月十五日にバイロンの一行はアポロン神の神殿で有名なデルファイを通過した。神殿は荒れ果て、かつては多数の穢れない処女の巫女が奉仕したという祭壇には捧げ物の跡もなかった。十二月二十日に一行はテーベに到着した。バイロンとホブハウスががっかりしたことにはそこには廃墟の他にテーベの過去の栄光を忍ばせるものは何もなかった。
「これがかつて、スパルタを破ってギリシア全土を制覇したテーベのなれの果てか。目ぼしいものは何もないじゃないか。アレキサンダー大王が持っていったのかな?」とホブハウスが呟いた。
「いや、自分もギリシア人でこの地を支配したアレキサンダー大王が何でもかんでも破壊したり持ち去ったりするわけがない。誰かが持ち去ったのだとしたらそれはエルギンxlvi[15]かもしれない。」
「それだったら安心だ。エルギン卿はイギリスに大切に持ち帰っているんだからな。」
「何言っているんだ。ここにあるものは全てギリシア人の財産なんだぞ。」
「しかしなあ、バイロン。」とホブハウスが言った。「僕らここまでずっと陸を旅してきて、スパルタの剣士のようなギリシア人にも、ソクラテスソフィストのような頭が切れそうなギリシア人にも一人も出会わなかったぜ。一体、彼らはどこに行ってしまったんだろう。まともなギリシア人がいないのなら、古代ギリシアの素晴らしい建築物や美術品は管理する者無しで放ったらかしになっているのと同じだ。だからこういった文化遺産の価値がわかる者が持っていって大切に保管するべきなんだ。」
「まともなギリシア人はきっといるさ。まだ出会っていないだけだよ。本来ならば彼らがイスラム教徒に脅かされずに自分たちの文化遺産を自分たちで管理するべきなんだ。」
アテネに着けば何かわかるかもしれない。」とホブハウスは答えた。


一行はクリスマスの前夜にアテネに到着した。地中海貿易の拠点であるアテネにはイギリス領事も駐在していたが、旅行客用の宿泊施設だけはなく、外国語に堪能で広い家を持つ者がアテネを訪れる外国人の世話をしていた。バイロンの一行は領事の紹介によって、イギリス人夫婦の娘としてアテネに生まれ、元の領事と結婚して寡婦となったマクリ夫人の家を紹介された。マクリ夫人には十五歳を頭に英語とギリシア語の両方を流暢に話す三人の美しい娘がいて、すぐにバイロンとホブハウスに打ち解けた。
クリスマスの後、バイロンとホブハウスはマクリ夫人の家に荷物の大半を残したまま、数日の予定でアリ・パチャの息子でペロポネソス半島の実質的な支配者になっているバリ・パチャを表敬訪問しに出かけた。バリ・パチャの参謀のほとんどがギリシア人だったが、その中でアンドレア・ロボスという男がほとんど伝説的になっている反トルコ運動の指導者コンスタンティン・リガスの話をバイロンとホブハウスに語り、ギリシア語の方言のロマイカ語で節をつけて歌われているリガスの武勇を称える歌を歌ってみせた。バイロンはリガスの話に歌にも大きな関心を示し、ロボスに頼んでギリシア文字を連ねて書き記してもらったリガスの歌をホブハウスに見せて言った。
「ほら、これがまともなギリシア人じゃなくて何なんだ。スパルタの剣士やソクラテスソフィストみたいな成りをしていなくても、ギリシア人の愛国者はちゃんといるじゃないか。」


バイロンとホブハウスがアテネに戻ると年明けから始まっていたカーニバルが最高潮に達していた。バイロンの二十二歳の誕生日、朝食が終わった後でバイロンはホブハウスに言った。
「僕の髭も今日が見納めだからな。とっくりと見ておいてくれ。」

アルバニア人の真似をして髭を生やし始めたようだが、今度は何の真似だ?」
「別に何の真似でもない。アルバニア人の真似が終わっただけだ。それから髭を剃るばかりじゃない。僕はこれから女装してカーニバルに繰り出す。何人の男が僕に言い寄るか、見てろ。」
「何を言い出すのやら・・・。」
「やきもち焼いてるんだろ。」
「僕がなぜ、どうして、誰に対してやきもちを焼くんだ。」
「君なんか、女装したって男に声かけられたりしないぜ。」
「女装なんかしないから関係ない。それより、君に言い寄る男が可哀想だ。馬鹿さ加減はほどほどにしろよ。君が強姦されそうになっても僕は助けてやらないからな。」
「やはりやきもちを焼いてるんだ。僕らはギリシアにいるんじゃないか。ローマではローマ人に、ギリシアではギリシア人に倣えだxlvii[16]。」

(続く)