かわまりの映画評と創作

読書ルームではノンフィクションと歴史小説を掲載

仕事納めです(その2)。

2020年は年の初め、正確に言えばわたしたち一般人にとっては旧暦の新年が終わったその時から新型コロナウィルスの脅威に社会全体が晒されることになりました。そしてアメリカや西ヨーロッパ、発展途上国などは未だに多数の感染者と死者が出て日本でもコロナウィルスの完全封じ込めからは程遠い状況が続いています。そして冷戦と核の脅威の時代を通じて物心ついた子供から成年前半期を過ごし、由縁あって原子力開発に関心を持ってしまったわたしは「ああ、核兵器は抑止力としては有効かもしれないけれど、もはや時代遅れなんだ。」という感慨があります。世界は生物兵器サイバー攻撃に怯える時代になってしまったようです。

 

このことは世界人類が新たな難しい段階に突入してしまったことを意味するようですが、ともあれ核兵器は長崎にプルトニウム爆弾が投下されたのを最後に抑止力としてしか機能しないようになり、裏を返せば抑止力として大変良く機能して現在に至っているわけです。そして今年も押し詰まった頃、ハヤブサ2号が小惑星リュウグウから地球に接近して玉手箱を人類に手渡してから新たなミッションに旅立つという一大快挙を成し遂げました。核弾頭数千発を誇示して他国の攻撃を抑止するのは自国民に病気や飢餓や不自由を押し付けない限り勝手かもしれませんが、われわれ日本国民はそういった不都合に見舞われることなく遠隔操作技術や材料工学などの最先端を駆使してハヤブサ2号を地球と宇宙の間のシャトルのミッションに送り出すことに成功しました。これは核弾頭数千発を誇示するよりも遥かに強力なメッセージであり、力の誇示であり、わたし達が抱くロマンの誇示です。

 

今年起きたコロナ禍がもたらしたもののひとつにグローバリズムの終焉があります。利潤を求めて自国から海外に進出した先進国の企業の多くがコロナ禍の下、自国に戻ったり、戻ろうとしています。全時代のグローバリズムによって経済発展という恩恵を受けた発展途上国は多かったわけですが、コロナは目に見えない人類の宿敵に立ち向かうためには一転、人類は文化・国境を越えて移動すことを止めて文献化した地方の権威が大きな力を持つべきだということを教えてくれました。内に篭って国境を閉ざすことがひいては全体の利益に繋がる、それは目先の利潤を自国に持ち帰り末端に至る国々が経済発展という目先の恩恵を享受するのではなく、人類の生命の根幹に関わる防衛に繋がるということを教えてくれたように思います。そしてそのことは利潤や生産性などといった物質的な恩恵の伝播ではなく、普遍的価値の伝播といったナポレオンやバイロンの時代のグローバリズムに形を変えて回帰していくことが手段のひとつではないかとわたしは思うのです。

 

というわけで、現在アップロード中の「黄昏のエポック」はナポレオンを崇拝していたバイロンがスペインの民衆の「ナポレオンは余計なお世話。スペインの未来はわれわれスペイン人が決める!」という強烈な民族自決の精神に触れ、かつ自由の伝統を育むイスラム教徒に抑圧されたギリシアを見聞したところで前半を終えます。後半ではバイロンのイタリアの民族主義との関わりが核になるのですが、その前に階級が固定したイギリスで彼がどのようにして一見近代を先走っているかのようなイギリスで上記のような人々の文化と魂に触れることができる叡智を養って行ったかをまず描きます。

 

では良いお年をお迎えください。