かわまりの映画評と創作

かわまりの読書ルームでは第一弾ノンフィクションに次いで歴史小説を連載中!

【読書ルームII(103)  黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

[第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 6/  )

f:id:kawamari7:20210411224912j:image

[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]

 

抱き合って再会を喜びあった後、シェリーは言った。

「閣下(ロード)、閣下と地続きの土地に移ってきて、いつでも会えると思っていたのですが、この前お会いしてからもう三年になります。三年前にヴェニスでお会いした時には病気から回復されたばかりだったので顔色が悪くて心配しましたが、お元気そうでなによりです。ところで、僕たちですが、一時期にはウィリアム、クララ、アレグラの三人の子供がいて家の中は本当ににぎやかだったし、僕たちは三人の子供たち全員を立派に育てようとして張り切っていたのに、今ではウィリアムだけになってしまいました。」
この前置きでバイロンにはシェリーの訪問の意図を察っした。バイロンは言った。
「君の訪問の意図を当ててみようか?アレグラを修道院に送ったことを責めにきたんだろう。そして、アレグラが僕と一緒に住めるよう、僕の生活に何か改善点を見つけようと思っているんだ。」
「当たっています。それが今回の一番重要な目的です。」とシェリーは正直に答えた。
「僕がアレグラを修道院に送ったのは僕の愛情が足りないせいだと言いたいんだろう。」とバイロンが言うとシェリーは「そうではないと信じているからこそ、閣下がたった四歳のアレグラを修道院に送った理由を知りたいんです。」と答えた。
「ふうん・・・。」とバイロンは言った。自分がカルボナリの一員で、イタリア統一と独立運動にかかわっていることを親しい友人のシェリーに告げて理解を求めることにはやぶさかではなかったが、この事実がシェリーからメアリーやクレアに伝わったらただでは済まされないし、特にクレアが危険な運動から遠ざかるように求めてきたりしたら厄介きわまりない、とバイロンは自分が手に染めている政治活動のことには口をつぐむことにした。また、イギリスでは政治的な先鋭だったシェリーがもしバイロンの行動に賛同したとしても、イタリア語が不自由なシェリーはこの地では足手まといにしかならない、とバイロンは思った。そこでバイロンは言った。
「僕がアレグラを愛していないなんて、そんなことがあるものか・・・。僕はアレグラを父として本当に愛していて、理由は言えないが、愛情があるからこそ彼女を修道院に入れたんだ。」
「僕はわかりません。創作に没頭して、アレグラの相手をする暇もないんですか?一時期、二人も乳母を雇っていると聞きました。しつけや教育は雇った人間にやらせて、閣下はほんのたまに、飼っている動物たちよりずっとかわいくて賢いあの子の遊び相手を務めれば、それだけで心がなごんで、もっと創作に励むことができるのではありませんか?」
「お願いだから、詳しい理由は聞かないでくれ。テレサとの生活のことも全然問題じゃなかった。彼女はアレグラを本当にかわいがってくれた。」

f:id:kawamari7:20210411225050j:image
[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]


バイロンはガンバ一家が急にラベンナを去った理由についてもシェリーには話さなかった。これ以上、何を話しても無駄だとわかり、シェリーはアレグラがいる修道院の場所を聞くと話題を変えた。
「半年前にジョン・キーツがローマで死んだことを閣下にはもうお伝えしていましたね。」
「そのことはもう聞いた。」とバイロンはそっけなく答えた。シェリーは言った。
「彼が死んで、僕は本当に悲しかったんです。彼の死の知らせを受けた時には涙が流れて、しばらくの間、涙が止まりませんでした。でも、泣くのは生産的ではないと思い直して、その悲しみを創作の原動力にする努力をしてみました。そして・・・。」
シェリーはこう言うと上着のポケットから小さな書籍を取り出してバイロンに見せた。
「『アドニス』・・・これは僕がジョン・キーツの死を悼んで書いた長詩です。先月イギリスで刊行されて、僕がここに向けて立つ直前に手に入りました。閣下に一部差し上げますから是非、読んでください。」
バイロンは渡された書籍をぱらぱらとめくりながら言った。
「何だ、『悲しい。』を連発しているだけじゃないか?」
「だって、本当に悲しかったんです。でも、訴えていることはそれだけではありません。」
キーツの死を悲しむのは勝手だが、君のほうがキーツより上だ。僕は保証する。」
「いいえ、僕よりも年下でありながら、詩作にかけては彼のほうが僕よりもずっと上でした。三年前に閣下にお目にかかった時には、お見せした『エンディミオン』くらいしか作品を発表していませんでしたが、その後、彼が詩の中に構築したのは完全な世界でした。彼は僕の弟にして師でした。」
「僕が君のほうが上だと言っているんだから君のほうが上なんだ。何が『美しいものはとこしえに喜びなりlxxxix[9] ・・・』だ。それがどうした?自己満足の自慰(オナニー)野郎が・・・。」

f:id:kawamari7:20210411225136j:image
[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]

 

シェリーは思わず青い目を見開き、口を手で抑えて息を呑んだ。
「閣下(ロード)!あなたはアポロン神のような気高い容姿をされているのに、耳を覆いたくなるようなとんでもない言葉が口をついて出てくるんですね。」
「こんな言葉、九歳の時から意味は判らないが知っていた。意味が判った時からは使いたい放題だ。君は旧約聖書xc[10]をまともに読んだことはあるのか?自慰(オナニー)野郎も無神論者の君もどうせ、旧約聖書なんてろくに読んでないんだろうな。」
「一応は読みました。でも多分、閣下ほど真剣にではないと思います。」
「そいつの生まれや身分は何だったっけか?」
「馬車の駅舎を経営していた親父さんが早くに亡くなって随分苦労したようです。詩人になる前に医者の助手の免許を取りました。」
「馬屋で生まれて医者になったか・・・。『馬屋で生まれても馬にはならなかった。』とうそぶいたウェリントンだかヴィレントン(悪漢野郎)だかの同類だったかもしれない。」
イエス・キリストも馬屋で生まれました。」
「そいつは何歳だったんだ?」
「一七九五年生まれの二十五歳でした。」
「医者をやっていた、多分今でもやっている、ジュネーブにまでくっついてきた人形男(ドーリー)と同じ年か。一七九五年にはヘボ詩人が多く生まれたんだな。医者をやって音を上げてヘボ詩人になるという共通の轍を踏む。」

キーツは閣下が自分に対して冷淡なのをよく気にしていました。中産階級出身の者が詩を書くことに閣下が反対なさっているんじゃないかと・・・。」
「そんなことは問題じゃない。詩で表現する内容が問題なんだ。例えばやつの詩に『汝、まだ陵辱されざる静寂の花嫁よ・・・xci[11] 。』なんていうのがあるじゃないか。何だこれは?壺が陵辱されるなんて、自己満足のでたらめな空想はいい加減にしろ。そんな男に捧げるような挽歌(エレジー)なんか五分で書いてやるから、そこに立って待ってろ。」
バイロンはこう言って書き物机の前に腰掛けるとインキ壺を引き寄せ、広げた紙にさらさらと詩句を書き始めた。
「閣下、僕の『アドニス』を最初から最後まで、真剣に読んでください。僕はこの詩によって死を超越した永遠の魂を賛美したかったんです。キーツが目指していたことに及ばずながら挑戦してみたんです。」とシェリーはバイロンの肩越しに言った。

「うるさい。今、書いているところだから黙っていろ!」
「さあ、できたぞ。」
「さすが、早いですね。十四行詩ですか?」
「見ればわかる。」
「な、何ですか、これは!」


「誰が殺したジョン・キーツ?」
「私よ。」と評論家が言った。
「残酷で野蛮なこの手口、
これが私の得意技(わざ)。」


「誰が矢を放ったの?」
「牧師で詩人のミルマンよ。」
(人殺しはいつでも OK)。
サウジーかバロウが犯人かもしれないxcii[12] 。

(続く)

f:id:kawamari7:20210411225222j:image

[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]

 

【参考】

ジョン・キーツ (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%84?wprov=sfti1

 

「誰が殺したジョン・キーツ?」以下はイギリスの童謡「マザーグース」の中の有名な詩のパロディー。少し長いが全文を引用しておく。

Who killed Cock Robin?

I, said the Sparrow,

with my bow and arrow,

I killed Cock Robin.

 

Who saw him die?

I, said the Fly,

with my little teeny eye,

I saw him die.

 

Who caught his blood?

I, said the Duck,

it was just my luck,

I caught his blood.

 

Who'll make the shroud?

I, said the Beetle,

with my thread and needle,

I'll make the shroud.

 

Who'll dig his grave?

I, said the Owl,

with my pick and trowel,

I'll dig his grave.

 

Who'll be the parson?

I, said the Rook,

with my little book,

I'll be the parson.

 

Who'll be the clerk?

I, said the Lark,

if it's not in the dark,

I'll be the clerk.

 

Who'll carry the link?

I, said the Linnet,

I'll fetch it in a minute,

I'll carry the link.

 

Who'll be chief mourner?

I, said the Dove,

I mourn for my love,

I'll be chief mourner.

 

Who'll carry the coffin?

I, said the Kite,

if it's not through the night,

I'll carry the coffin.

 

Who'll bear the pall?

I, said the Crow,

with the cock and the bow,

I’ll bear the pall.

 

Who'll sing a psalm?

I, said the Thrush,

as she sat on a bush,

I'll sing a psalm.

 

Who'll toll the bell?

I, said the Bull,

because I can pull,

I'll toll the bell.

 

All the birds of the airfell

a-sighing and a-sobbing,

when they heard the bell toll

for poor Cock Robin.

 

「サウジーかバロウ」の二人はバイロンシェリーの同時代の詩人

 

【読書ルームII(102)  黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

[第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 5/  )

 

f:id:kawamari7:20210409221700j:image

[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]

 

「二重活動家(ダブル・エージェント)の可能性がある人間が自分の屋敷の前で殺されたのは正に、カルボナリの中に自分が二重活動家(ダブル・エージェント)ではないかと疑っている者がいるからなのではなかろうか。イギリス貴族であり、ウィーン反動体制で中心的な役割を担っているイギリス政府の中枢部と接触しようと思えばいつでも接触することができる自分に対して、二重活動家(ダブル・エージェント)の末路を示す見せしめとしてこの男が殺されたのではないか・・・。」こう考えた時、バイロンは今まで仲間だと考えてきたカルボナリのメンバーも、ガンバ伯爵父子以外は決して信用してはならないと思うようになった。


バイロンは外出の際にいつでも二人の従者を連れ、ピストルを隠し持つことを怠らないようになった。問題はアレグラだった。アレグラにはイギリス人とイタリア人の二人の子守り女をつけていた。この二人のうち、イタリア人のほうには買い物などの用事を言いつけることがよくあり、アレグラもイタリア人の子守り女と一緒に市場(マルカト)に行くのが好きだった。
「もし、あのイタリア女がアレグラと連れ立って出かけた時に知り合いにでも出会って、おしゃべりに夢中になってアレグラから目を離したら・・・。」こう考えるとバイロンはぞっとした。「外に出ることが好きなアレグラが広場(ヒ ゚ ア ッ ツ ァ)で遊びに興じている間に子守り女が目を離し、アレグラが誘拐されでもしたら・・・。」しかし、イタリア女に注意を与えるわけにはいかず、同じ年ごろの幼児と
遊びたいアレグラを広場(ヒ ゚ ア ッ ツ ァ)に行かせないわけにもいかず、創作で忙しい自分がアレグラの外出のたびに付き添うわけにもいかなかった。思案の末、バイロンはアレグラを絶対安全な場所に預けることにした。その場所とは女子修道院だった。


バイロンはアレグラに新教徒(プロテスタント)としての教育を受けさせたかった。新教徒であるばかりではなく、進歩(ホィッグ)党の党員lxxxvi[6]だったバイロンは、信教の自由は尊重しながらもカトリックは無知蒙昧の温床であると頑なに信じていた。しかし、状況は予断を許さなかった。バイロンはアレグラを修道院に送る手はずを整えるまでアレグラの外出に出来る限りつき添うことにした。二人の屈強な従者もいつでもつき添っていた。そして、アレグラと一緒に外出した時は必ず暗くなる前に帰宅し、「旦那さまは例の殺人事件以来、極端に注意深くなった。」と使用人たちに笑われるのに任せた。


年が明け、ようやく決心を決めたバイロンテレサが「ここなら安心してアレグラを預けることができる。」と言った女子修道院を確認のために訪れたのは二月になってからだった。三月の初め、高価な人形や玩具、美しい刺繍をほどこしたクッションや与えられた個室の窓に飾るカーテンなどと共にアレグラは馬車に乗せられて修道院へと向った。


アレグラを修道院に入れた後も、自分の身辺に不穏な空気が漂っているという憶測を変えることができず、バイロンはアレグラを修道院に入れたことは正しい判断だったと思った。外国人の貴族でもあり、二人の従者を常に連れて出歩いている自分がいきなり拉致されたりはしないだろうとバイロンは思っていたが、蒸し暑いロマーニャ地方の夏が本格的に到来した六月のある日、一人の従者が、気が動転した様子でバイロンのもとに駆け込んで来て言った。
「ティタ・ファルシエリが警察に連行されました。」
ティタ・ファルシエリというのは、バイロンヴェニスでゴンドリエとして雇い入れた男で、ラベンナに引っ越してからはガンバ邸やグィッチオーリ邸、その他の場所への伝令をやらせたり、買い物や力仕事をさせたりしていていたが、カルボナリに関わる伝令をこの男に頼んだことは全くなかった。バイロンはちょうど、劇詩「サルダナパルスlxxxvii[7]」を完成し、次の劇詩「二人のフォスカリlxxxviii[8]」の執筆に着手しようとしていたところだったが、この男の釈放のために時間を割かなければならなかった。

f:id:kawamari7:20210409221211j:image

[ティタの故郷、ヴェネツィアの大運河(グランカナル)]

バイロンは、ティタが自分の従者であり、ガンバ伯爵家の者と自分とを繋ぐ伝言を引き受けているために、自分に対する嫌がらせと威嚇のために拘留されたのだと確信していた。そのバイロンの確信を裏付けるかのように、バイロンにとってはもっと衝撃的な出来事が起きた。それはピエトロ・ガンバがオーストリア警察に連行されたことだった。


ティタの拘留の件でバイロンは実質的に創作の手を休めることはなかったが、今度はピエトロのためにイギリス貴族の肩書きを利用して出来る限りのことをするために奔走せざるを得なくなった。バイロンはローマに滞在していた昔の恩人、デボンシャー公爵夫人エリザベスに手紙を送り、ローマ法王の下で外務大臣に相当する地位にある、コンサルヴィ枢機卿にピエトロ・ガンバの釈放を命令してもらう可能性を探った。しかしこの努力は実らず、ガンバ邸はオーストリアの警察によって家宅捜査を受けた。間一髪のところでテレサがピエトロとカルボナリとの関係を裏付ける書類全部を大きな壺に入れて焼き払ったため、ピエトロは釈放されることになった。しかし、ガンバ伯爵父子は二十四時間以内にラベンナから立ち退くよう言い渡された。たった一人邸に残されたテレサも、後片付けが終わった後に父と弟の追放先であるフィレンツェに行くことになった。

f:id:kawamari7:20210409221005j:image
[フィレンツェの一風景 ミケランジェロ作のダビデ像]

一八二一年の八月になり、従者のティタ・ファルシエリは釈放された。テレサは空家になったガンバ邸を去ってフィレンツェにいる父と弟の元に移り、バイロンは創作に没頭しながらも空しさを感じた。その時、ピサに居を構えていたシェリーがひょっこりラベンナにやってきた。手紙のやりとりはあったものの、一八一八年の春にアレグラを渡すためにヴェニスに来て以来、シェリーとは約三年間、顔を合わす機会がなかった。(続く)

f:id:kawamari7:20210409221921j:image

[あくまでも牧歌的なラベンナの一風景]

 

【読書ルームII(101)  黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 4/  )

f:id:kawamari7:20210409001329j:image

[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]

「家に戻ってきてから何回か、父と相談する機会を持ちました。夜、人が寝静まった頃に、特別なやり方で父の寝室の扉を叩くんです。親子なのに何でこんなことをしなければならないんだろう、と言ってお互いに笑いました。でもこれが今の僕ら、つまりカルボナリ全体のやり方なんです。カルボナリは秘密結社ですから、誰がメンバーで、どういった活動をしているのか外部の者には全く秘密にしなければならないんです。姉もぼくら親子がカルボナリに関わっているということの他は何もしりません。姉は閣下にそのようなことを話したことはありますか?」
「ない。」とバイロンは答えた。
「閣下はイギリスでは進歩党所属の貴族院議員でした。間違いありませんね。」
「そのとおりだ。」

「では、閣下にお願いがあるのです。オーストリアの圧制に抵抗しているカルボナリの党員に議会政治について、議会政治とはどんなものなのかを教えていただきたいんです。僕らはオーストリアの支配から解放された後に建設されるべき理想国家を模索しているんです。どうか、僕たちに未来の指針を与えてください。」
夏の木立の茂の中、ピエトロは背伸びをしてバイロンの耳元に口を近づけ、ほとんど囁きに近い低い声でバイロンにこう懇願した。


バイロンヴェニスにいた頃から関心を持っていたイタリア人の抵抗組織や自由主義運動に恋人の弟を介して関わることになった運命の不思議さに驚きながらも、ガンバ伯爵父子との秘密裡の関係を深めていった。バイロンは教会の地下の墓所(カタコム)でカルボナリに対する宣誓を行い、オーストリアからの独立後の政治体制を模索する人々の集まりがあれば請われて議会政治に関する講義を行ったり質問に答えたりした。


こうしてクリスマスが近づいたある日の夕方のことだった。テレサやアレグラに贈る数々の豪華な装飾品やおもちゃを華麗に包んだクリスマス・プレセントが自宅の物入れの中に準備されつつあった。外出しようとしていたバイロンは突然、屋敷の外で何発かの銃声を聞いた。屋敷の中は騒然となった。バイロンがバルコニーに顔を出すと、すでにバルコニーに立って路上を見下ろしていた召使いが下方を指差しながら真っ青になってバイロンのほうを振り向いた。召使いが指差した先に一人の男が血まみれになって倒れているのが夕闇の中ではっきりとわかった。
「早く屋敷の中に運ぶんだ。誰のベッドでもいいから寝かせて、医者を呼べ!」とバイロンは叫んで不自由な足を引きずりながら階下に下りていった。


邸内に運び込まれた男は出血がひどく、虫の息だった。オーストリアの正規軍の制服を着ていたが、屋敷の中に運ばれてきたその男の顔を見た時にバイロンにははっと思い当たることがあった。その男の顔をバイロンヴェニス近郊のカルボナリの集会で見かけたことがあった。
「二重活動家(ダブル・エージェント)・・・。」
バイロンは顔色を変えたことを使用人たちに気づかれないように気を使いながら、フレッチャーの寝室に男を運ぶよう、集まった男の使用人たちに事務的に命令した。医者が到着するよりも先に、玄関からフレッチャーの寝室がある二階に至る邸内の床を血まみれにし、フレッチャーのベッドを二度と使用できないほど汚して、男は息を引き取った。
「アレグラが見る前に床をきれいにしろ。」とバイロンは、フレッチャーの寝室から離れた二階の自分の部屋で子守り女に寝かしつけられようとしているアレグラが騒ぎを聞きつけて部屋から出てくるのを恐れながら女の使用人たちに命令した。バイロンは混乱していた。医者が到着し、殺された男は受けた五発の銃弾のうち一発が心臓を傷つけたために命を失った、と説明したが説明は何の役にも立たなかった。バイロンが知りたかったのは男の素性だった。殺された男の所持品から、男の名はダル・ピントというイタリア人だということがわかった。軍隊の中ではかなりの地位を占めている士官で、妻子は近郊の町に住んでいた。


ラベンナ行政府の長であるルスコーニ枢機卿lxxxv[5]はダル・ピントを殺した犯人に賞金をかけて見つけ出そうとしたが犯人は見つからなかった。ただ、犯行に使われた古い型のピストルだけがバイロンの屋敷のすぐ近くで発見された。バイロンは気が気ではなかった。まだ人の往来がある夕方に自宅の前で殺人事件が発生したというだけで身に危険を感じるのは当然すぎるほど当然だったが、バイロンにはルスコーニ枢機卿や犯罪捜査の担当者に絶対言うことのできない犯罪の真相の可能性、つまりダル・ピントがカルボナリとオーストリアの二重活動家(ダブル・エージェント)だったために殺されたという可能性を信じる十分な根拠があった。その根拠とは他でもない、殺人事件が自分の屋敷の前で行われたということだった。
「もしもダル・ピントがカルボナリとオーストリアの二重活動家(ダブル・エージェント)だったとしたら・・・。」とバイロンは考えた。「彼がどちらに本当の忠誠をつくしていたのかと関係なく、ただ、厄介者だというだけで排除するべきだと考える者がいてもおかしくはない。それはカルボナリとオーストリアのどちらの人間なのだろうか・・・。」
考えるまでもなく、ダル・ピントを殺した犯人がカルボナリのメンバーであることはほぼ間違いないとバイロンは思った。イタリア人をいくら不当に抑圧していると言っても、体制側であるオーストリアの官憲は厄介者を排除するのに隠れた手段を使う必要はなかった。一方、カルボナリは地下組織でもあり、いくら多数の愛国者が参加しているといっても体制に反抗する脆弱な組織にすぎなかった。こう推論した時、バイロンは身震いを覚えた。(続く)

f:id:kawamari7:20210409001520j:image

[ラベンナの一風景]

 

【参考】

【かわまりの映画ルーム(93) 夏の嵐(1954). 〜 破れかぶれの悲恋 9点】

https://kawamari7.hatenablog.com/entry/2019/12/12/113131   をご覧になれば当時(ウィーン反動体制)の下でのイタリアがどれほどオーストリアに抑圧され、オーストリア人がどれほどイタリア人に憎まれ、オーストリア人にどんな形にせよ心を寄せたり協力したりするイタリア人、特に貴族が蔑まれたかがわかります。

【読書ルームII(100 )  黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 3 /  )

f:id:kawamari7:20210407222601j:image[ラベンナの一風景]

 

「閣下(シニョーリ)、閣下の国では議会が発達し、人々は議会を通して国の政治に参加することができます。こういうしくみは社会を発展させるんでしょうね。」
「そうかもしれません。」とバイロンは答えた。
「でも、発展に伴って新たな問題が生じてきます。それに議会は万能ではありません。」
「どうしてですか、それは選挙権が全ての人間に与えられていないせいですか?」とピエトロが聞き返した。
「選挙権が全ての人間に与えられているかどうか、といういうのは議会の機能と関係ありません。むしろ、全ての人間に教育水準などと関係なく選挙権が与えられたら、国の政治は衆愚政治に陥るでしょう。大切なのはまず、見識のある人間が政治に参加できるかどうかです。」バイロンはこう答えた。するとピエトロは、
「議会が全ての問題を解決できないのは、議会が見識のある人間だけでなり立っていないのですか?それとも別の理由があるからですか?」と聞きただした。これに対してバイロンはこう答えた。
「見識のない人間が議会に参加していることと議会の審議方法と両方に問題があります。こと、外国との関連では、何世紀にも渡る歴史の趨勢を顧みずに自分の私利私欲だけのためにある政策を支持するような人間が必ず出てきます。」
バイロンがこう語っている間、ピエトロ・ガンバは爛々と目を光らせてバイロンを見つめていたが、バイロンが話し終わると一言「例えば?」と尋ねた。
「例えば、ヨーロッパは貿易や文化交流によって一つになって繁栄するべきですが、王侯貴族や上層部の利益によって農奴制などの古い制度が温存されている国はその目的の妨げになります。王侯貴族同士の馴れ合いによって、他国に存在している時代遅れの制度を容認したり、あるいは自立した道を歩むべき植民地の独立運動を自国の利益のために押さえつけるような間違いを議会が犯すこともあります。」
「閣下(シニョーリ)のお考えがだいぶ理解できました。」とピエトロはこう言った後で話題を政治から学校のことやローマではやりの演劇のことに転じた。
政治や歴史を語る時の熱い口調から、少年というにはあまりに大人びた十七歳のピエトロがイタリアの前途に多大な関心を持っていることは明らかだった。しかし、南イタリアナポリで反乱が起き、国王フェルディナンドが退位するという画期的な出来事があったのにも関わらず、ピエトロや父ガンバ伯はそれを話題にしなかった。バイロンはこの出来事がヨーロッパの自由再燃の口火を切るのではないかと密かに期待し、自由主義者からの情報を当てにするよりも南イタリアに知己のいるピエトロが何か情報をもたらしてくれるのではないかと顔を合わせる度に期待したのである。しかし、邸内でピエトロに出逢ってもピエトロは鋭い視線をバイロンに投げかけるだけだった。


八月になり、バイロンが熱い屋敷の中から抜け出してガンバ邸内の木立の中を散策している時だった。後ろから「閣下(シニョーリ)、閣下!」と呼ぶ声たしたので振り向いてみると、そこに立っていたのは燃えるような眼差しをしたピエトロ・ガンバだった。バイロンとピエトロは一瞬、沈黙したままお互いににらみ合った。
「閣下。僕は閣下に謝らなくてはならないことがあります。」とピエトロが言った。

「どうしてだ?」とバイロンが尋ねた。
「閣下がご存知ないことです。僕は閣下を窺っていました。」とピエトロは答えた。
「窺うって、初対面の時には誰だってお互いに探りあいをするものじゃないか。」
「違うんです。僕はグィッチオーリ伯爵に頼まれて閣下の素性について詮索していたんです。彼からの手紙をお見せしてもいいんですが、全部ローマに置いてきてしまいました。」
「そんなことだったのか・・・。」とバイロンは苦笑した。グィッチオーリ伯爵がピエトロに頼んだことは容易に想像がついた。「グィッチオーリ伯爵はピエトロにテレサが別れ話を取り下げて自分とよりを戻すよう、自分にとって有利な材料になる弱みや欠点を探るよう、ピエトロに依頼したのに違いないが、大人同士で解決すべき問題に、よくも十七歳の子供に協力を依頼したものだ。」とバイロンは思った。ピエトロは構わず続けた。
「僕は閣下の作品も誤解していました。僕の読解力が足りなかったせいです。僕は閣下の『ハロルド卿の巡礼』を単に個人的な感慨を吐露しただけのトラベローグだと思っていました。でも、直接会っていろいろお話しを聞くうちに考えかたが変ってきたんです。」
ここまで話すとピエトロはバイロンの片腕を取り、周囲を見回して言った。
「閣下と屋敷の外で二人きりになっているところを使用人たちに見られたくありません。そこの木立の間に入りましょう。」
ピエトロはこう言ってバイロンの腕を掴んで木立の中に連れていくと声を潜めて言った。
「実は、僕と父とはカルボナリ党員lxxxiv[4]なんです。姉も父がイタリアの国粋主義者の間で尊敬されているということは知っています。でも姉は活動することができないので姉にはあまり詳しい活動内容は知らせないようにしています。閣下はグィッチオーリ伯爵に何か政治的なことについて質問されたことはありますか?」

「覚えている限りではない。彼はあまり政治には関心がないようだった。自分の財産さえ守れればそれでいいという、そんな感じの男に見えた。」
「僕もグィッチオーリ伯爵はあまり信用していませんし、姉が結婚した当初から好きになれませんでした。父もグィッチオーリ伯爵の無気力な姿勢が嫌いで、それが姉との結婚に反対した理由の一つだったと言いました。」ピエトロはこう言って息を接いだ。(続く)

 

【参考】

カルボナリ党 (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%AA?wprov=sfti1

【読書ルームII(99)  黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 2/  )

f:id:kawamari7:20210403224550j:image

[ラベンナの一風景]

一八一九年の春にテレサ・グィッチオーリ伯爵夫人と出会ったことによって、バイロン中産階級の女性の間を花から花へと飛び回る蝶のように渡り歩く生活に終止符を打ち、その年の暮れにはヴェニスからグィッチオーリ伯爵邸と夫人の実家であるガンバ伯爵邸の両方があるラベンナに引っ越した。当時二十歳のテレサ・グィッチオーリ伯爵夫人はバイロンの「チャイルド卿の巡礼」をフランス語訳で読んでバイロンに心酔していた。
「やはり、私が相手にすべき女は私の詩を理解できなければならなかったのだ。」とバイロンは、数学と詩の才能に恵まれたバイロン夫人と別れてからの自分の苦しい女性遍歴を反省した。ヴェニスにたどり着いてからバイロンのはかない恋の相手になった女性は全てバイロンの容姿や態度の虜になったのであって、一人としてバイロンを詩人として評価したり尊敬したりはしていなかった。テレサ・グィッチオーリ伯爵夫人との出会いはまた、イタリア到着以来ずっとウィーン反動体制への抵抗手段を模索してきたバイロンに一応の回答をもたらすことになった。


バイロンがラベンナに引っ越した翌年の夏、テレサとグィッチオーリ伯爵との離婚が進行中だったある日、バイロンがガンバ邸に出向くと、館の中全体がせわしく何かの準備に終われていた。
「何ごとですか?でも、みんな楽しそうですね。」とバイロンテレサに尋ねると、まだ子供らしさの残る顔をほころばせてテレサはこう答えた。
「弟がローマから帰ってきます。学校が休みになったの。」
テレサの弟ピエトロ・ガンバに関してバイロンはすでにいろいろなことをテレサから聞いて知ってた。そして、テレサの話に登場するピエトロ・ガンバは十七歳の少年ではなく、立派な大人の貴族として、自らの意見と見識を備えた青年だった。


バイロンの前に現われたピエトロ・ガンバは鋭い目つきと大人びた表情をした若者だった。ただ、背丈はバイロンの肩より少し高いほどしかなかった。
「閣下(シニョーリ)のことは父や姉からの手紙でよく存じ上げております。私も閣下のご高名にあずかろうと、閣下の詩のフランス語訳を一生懸命読みました。英語で読むのはまだ少しむずかしいです。」こう言って握手を求めた若いピエトロ・ガンバが自分のことを抜け目なく観察しているということをバイロンは後になって知ることになった。


食卓についた十七歳のピエトロ・ガンバはその知識においても世間に対するものの見方においても十分に大人と言ってさしつかえないほど成熟していた。「動乱の国イタリアに生まれた若者は安定した国イギリスに生まれた若者よりも早く成熟するのに違いない。」とバイロンは名門ハロー校に在学していた、十代半ば頃の自分とピエトロを比較してみないわけにはいかなかった。

f:id:kawamari7:20210403224822j:image

[ラベンナの一風景]
その日、一座の中心だったピエトロが提供した話題はイタリアが生んだ偉大な詩人、ペトラルカ、ダンテ、タッソーさらにはホラチウスなどの古典とバイロンの作品との比較に始まり、更にはローマの学校で知り合った南イタリアやサルジニアの名門家庭出身の朋友が語ったこれらの地方の実情にまで及んだ。丁度、南イタリアナポリ王国オーストリアの後押しによって王位に就いたブルボン家の脆弱な国王フェルディナンドに対する民衆の反抗の火の手が上がったばかりだった。
南イタリアには・・・。」とピエトロが話し始めた。バイロンは黙って耳を傾けた。「ナポレオンが次々に廃止していった東ヨーロッパの農奴制とは少し異なってはいますが、基本的には同様の古い土地制度が残っています。農民たちは収穫の大部分を取り上げられ、そのせいか、生産性を上げる努力をしません。自由を奪われた人間は創造的な努力を忘れ、それが結局としては社会を停滞させ、衰退させる。僕らはこういう仮説を立てて夜中までいろんなふうに論じ合いました。ジェノバから来たやつとフィレンツェから来たやつが、貿易と商工業の自由が輝かしいルネッサンスを生んだと主張して、自分達の故郷を鼻にかけました。」
フィレンツェでは私が好きな画家、ボッティチェリやレオナルド・ダ・ビンチが活躍したわ。ジェノバは文化の中心としてはフィレンツェよりも下じゃないの?」とテレサが言った。
コロンブスの故郷ですよ。大西洋横断を助けてくれたのはスペインでしたが、コロンブスが自由な発想でもってスペインの女王を説き伏せるのにあの都市の空気が貢献したんですよ。」とピエトロが答えた。
ジェノバが別の国になってしまったというのは返す返すも残念なことだ。」と父ガンバ伯爵が言うとピエトロは「あの、お父さん、それは禁句じゃないですか?」と言った。しかし、ピエトロはバイロンを含む晩餐の出席者全員の顔を見回すとこう言った。
「お父さんが大丈夫だと思うのなら大丈夫でしょうね。」
ピエトロが外国人でよそ者のバイロンの素性を疑ってこう言ったのだとバイロンが思ったのはすぐ後のことだった。

 

英語でイギリス人と語り合っていたなら多くの意見を言うことができたであろうこういった話題や仮説にバイロンは一言も言葉を発せず黙っていた。その理由は会話がイタリア語だからだというだけではなかった。
「イギリスでは議会が主導する安定した枠組みの中で社会は発展した。しかし、その歪(ひずみ)が貧富の差を生みラッダイト(工場設備破壊)運動などを引き起こした。」とバイロンは考えながら、ピエトロの話題にどうやって参加すればいいのか考えていた。とうとうピエトロがバイロンのほうを向いて言った。(続く)
f:id:kawamari7:20210403224717j:image

[ラベンナの一風景]

【参考】

ヴェニス

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%F4%A5%A7%A5%CB%A5%B9

ジェノバ 

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B8%A5%A7%A5%CE%A5%D0

フィレンツェ

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D5%A5%A3%A5%EC%A5%F3%A5%C4%A5%A7

 

ラッダイト運動 (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%88%E9%81%8B%E5%8B%95?wprov=sfti1

 

【読書ルームII(98)  黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 1/  )

f:id:kawamari7:20210402225409j:image

[上は有名なピサの斜塔ルネッサンス期の科学者ガリレオ・ガリレイがここで落下の実験を行ったとされる。]

 

「パーシーは書いて、書いて、書きまくっています。私の校正が追いつかないくらいの速さで・・・。」
メアリー・ゴッドウィン・シェリーはバイロンに向かってこう言うと泣き崩れた。メアリー・ゴッドウィンとパーシー・ビッシュ・シェリージュネーブへの駆け落ち旅行からイギリスに帰国した直後の一八一六年の秋に、シェリーの妻ハリエットの不慮の事故死によって結婚の自由を手に入れ、すぐさま教会で簡素な結婚式を挙げていた。
「三年前、元気ではしゃいでいるクララをお目にかけたかったのに、お目にかけることができたのは棺に入ったクララでした。あの時にはパーシーが私たちのパスポートを間違って持っていってしまって、後から来た私たちのヴェニスへの入国lxxxi[1]が遅れたせいでクララが死んでしまったんです・・・。アレグラのいい友達になるはずだったのに・・・。」
メアリーはこう言うと涙を拭った。メアリーはラベンナlxxxii[2]からピサlxxxiii[3]に引っ越してきたバイロンが新居ランフランチ邸を整えるのを手伝いに来ていた。
「クララが死んだ後、私はしばらくの間パーシーを許すことができませんでした。夜遅くまで仕事をするパーシーを無視し続けました。南イタリーへの旅行に出かけてやっと仲直りができたと思った時にローマでウィリアムが突然病気になって死んでしまいました。パーシー・フローレンスが生まれてウィリアムの生まれ変わりだと思い、ウィリアムがいなくなった寂しさが少し紛れようとしていた矢先、クリスマスのすぐ後にパーシーがある子供の名づけ親になって、その子供や親の素性を詮索してみたら、パーシーがその子供を父親として認知しているということがわかったんです。」
バイロンは目に涙を浮かべているメアリーの肩を抱いてため息をつき、つぶやいた。「何てやつなんだ。あれほど、結婚という制度を大切にしろと言っておいたのに・・・。」
「それだけじゃないんです。」と、メアリーは声をひそめていった。「私、見たんです。パーシーの原稿を整理している時に・・・。パーシーはジェーンを題材にして、読んでいて頭が熱くなるような情熱的な詩を書いているんです。」
ジェーンというのはパーシー・ビッシュ・シェリーの家から程遠くない場所に逗留している、シェリーの遠縁で文学好きの元軍人エドワード・ウィリアムズの妻のことだった。
「ジェーンにパーシーとの関係について正面切って尋ねるわけにもいかないし、私、ジェーンと一緒の時だけではなく、エドワードと一緒の時にも何だか自分が馬鹿にされているような、身の置き所のない感じを持ってしまいます。」
「人妻に首ったけになるなんて、全く困ったやつだ・・・。私からそれとなく聞きただしておこう。」
涙をまた拭った後でメアリーはバイロンを正面から見つめ直して言った。
「一刻も早くアレグラを引き取ってくださいね。クレアがアレグラを手放したのは、閣下(ロード)だったらアレグラに立派な教育を与えることができるからです。覚えていらっしゃいますか?三年前、閣下にお渡しする前にはアレグラはパーシーのことを『パパ』と呼んでいました。でも三ヶ月前にアレグラに会った後、パーシーは『アレグラは今では閣下が自分の父親だと思っているのか、僕のことをすっかり忘れているようだった。』と言いました。」
「私のところに来た時には、『本当』という言葉の意味をしらなかったせいでアレグラは私のことを『本当のパパ』と呼び、パーシーのことをただの『パパ』と呼んでいたんだ。私が飼っている動物たちと全く同じぬいぐるみを与えて、本物の動物とぬいぐるみを区別してぬいぐるみに自分が好きな名前をつけさせた頃からアレグラは私のことをただの『パパ』と呼ぶようになった。」

「アレグラがウィリアムに倣ってクレアがいる前でも私のことを『ママ』と呼ぶのを、私たちは心を鬼にして変えさせませんでした。クレアのことを『おばちゃん』と呼ぶようにしつけました。閣下はアレグラが『ママ』と呼べるような素晴らしい方と付き合っていらっしゃると聞きました。その方はもうすぐしたら、ピサにいらっしゃるんでしょう?だから、お願いですから、早くアレグラを引き取ってください。そして、二度とあの子を修道院には入れないでください。」
「今は冬だから、アレグラにアペニン山脈を越える長旅をさせたくない。良い子守りを雇って、春になったら信頼できる屈強な従者二人と一緒にアレグラを引き取りにロマーニャに送ろう。」
こうは言ってみたものの、バイロンは本心では身辺の事情を考慮し、良い子守りではなく、アレグラを安心して預けられる良い修道院を探すつもりでいた。
「これからもパーシーのことで困ったことがあったら何でも私に相談にしなさい。」
バイロンがこう言い、メアリーは帰っていった。しかし、五年前にジュネーブ湖畔でシェリーと出会って以来、動乱の日々がバイロンを変え、相変わらず子供のように純真で思ったことは何でもやってのけるシェリーを今でも諭すことができる自信がバイロンにはなかった。バイロン自身が人妻に恋をし、しかもその恋は一時の情事で終わることがなく、相手とその夫を離婚にまで追いやっていた。ただし、この離婚に関してはバイロン自身に言い訳が立たないわけではなく、人妻に手を出したバイロンに責任があるというよりは、自然の帰結を早めただけだった。相手の人妻、テレサ・グィッチオーリ伯爵夫人はあまりに若くして、親子ほども年の離れた色男のグィッチオーリ伯爵と結婚し、グィッチオーリ伯爵の最初の妻が伯爵によって毒殺されたという噂を聞くに及んで、結婚してから不安定になった自分の健康が何かその事実と関連があるのではないかという疑惑を拭うことができず、バイロンと出会ってしばらくした後、父のガンバ伯爵に離婚の許しを乞うようになった。カトリックの影響が強いイタリアで離婚が成立したのは、権力者であり、また娘の結婚に当初から反対していた父ガンバ伯爵がローマ法王に訴えて離婚の許可が得られたからだった。

(続く)

 

【参考】

グィッチオーリ伯爵邸が現在でもあるラベンナはヴェネツィアの南で馬車や騎馬でもほど遠くない場所に位置する古都で中世には東ローマ帝国の飛び地だったため東ローマ風の建造物やイスラム勢力の侵攻と偶像破壊を免れたギリシャ正教風のモザイク壁画で名高い。

f:id:kawamari7:20210402230614j:image

f:id:kawamari7:20210402230536j:image

f:id:kawamari7:20210402233451j:image

f:id:kawamari7:20210402232519j:image

2016年にわたしがラベンナに滞在した時、宿泊したオテル・チェントラーレ・バイロンのコンシエルジェが英国詩人バイロン郷の縁(ゆかり)の場所であるグィッチオーリ伯爵邸は(2016年時点で)改修中だと話しました。ラベンナは中世東ローマ帝国文化遺産で世界に知られ、またイタリア全土は古代ローマ帝国とヨーロッパ近代の口火を切った輝かしいルネッサンス文化遺産で知られていますが、それらの過去の栄光のせいで政治的には他のヨーロッパ諸国の後に甘んじてしまったきらいがあります。そういうイタリアの悩みや他ヨーロッパの文化人にとっての憧れの地といった観点からも文化財の保護や世界に向けての公開がなされるといいです。

 

ラベンナに存在するルネッサンス期の文化遺産としては故郷フィレンツェで政争に巻き込まれて敗れ、ラベンナに流刑になって無念の死を遂げたダンテ・アルギエレ(トスカナ方言のイタリア語で一大叙事詩神曲」を執筆した文人)の墓があります。わたしが訪れた時、薄暮の中で不敵にもダンテの墓の上に寝そべってスマホをいじっている顔が浅黒く彫りが深い男の子がいました。わたしが拙いイタリア語で話しかけると「僕、英語の方が得意だから英語で話して。」と即座に仲良くなれました。わたしが日本人だということで彼が関心を持ったのは日本人が広島・長崎への原爆投下を恨んでいないかということで、それに対してわたしは「アメリカや旧連合国に対する恨みつらみは何も生み出さないし、原爆で亡くなった人は恨みつらみで帰ってくることはないけれど、友情と信頼は色んなものを生み出して生産的だということをわたし達日本人は証明したのよ。」と答えておきました。名前も聞かずに別れたその男の子はパキスタン出身で中東やイスラム過激派への偏見や怨恨のせいでイスラム教徒の移民が難しくなっていることを嘆いていました。男の子が寝そべってスマホをいじっていたのは隣接するダンテ記念館のWifiが24時間使えるからです。

【映画ルーム(166) ハムレット(1996) 〜 名優オールスターのやりたい放題 5点】

【映画ルーム(166) ハムレット(1996) 〜 名優オールスターのやりたい放題 5点】 平均点:6.88 / 10点(Review 25人)  1996年【英・米】 上映時間:243分  

クレジット(配役と製作者)などについては次のURLをご覧ください。

https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=449

 

このブログの内容全ての著作権はかわまりに帰属し、映画タイトルの次、"〜"のすぐ後ろのキャッチコピー、【独り言】と【参考】を除く部分の版権はjtnews.jp に帰属します。

 

【あらすじ】

19世紀のある王国。皇太子ハムレットは父王の訃報に接して急遽帰国するが、待ち受けていたのは自分をさし置いて王位についた叔父と叔父との再婚を決めた母だった。ハムレットは警護の兵士の手引きで父王の幽霊に出会い、現王に殺された模様や無念の心境を聞かされるが以後、鬱々として思索ばかりを膨らませ、恋人オフィーリアやその父で大臣のポロニウスに当たるなどして周囲を困惑させる。思い切った行動を取れないハムレットが母の心変わりを責め、ポロニウスを誤って殺した時から運命の歯車は王家の者全員を悲劇へ導くべく動き出す。

 

【かわまりのレビュー】

《ネタバレ》 古典中の古典で今まで何回も映画化されてるシェクスピアのハムレットとなれば他の作品と比べての出演者の演技と演出だけで点数をつけざるを得ないので点数は辛めです。冒頭の王宮シーンから「これはバッキンバムかベルサイユか?」といった感じで原作が想定していた中世デンマークではないのは明らかで衣装なんかが19世紀風なのにはすぐ慣れましたが、頻繁に挿入される回想シーン(王の殺人シーンからオフィーリアのベッドシーンまで!!)には辟易させられました。先王の幽霊が現れるシーンなんかはまるでホラーでした。ハムレットを初めて映画化したローレンス・オリビエが独白シーンをナレーションにして(今の私たちには斬新でさえありませんが)センセーションを巻き起こしましたが、これではちょっとやりすぎです。ブラナーの演技はまあまあでしたが、コメディーのほうがあっているかもしれません。貴公子のローレンス・オリビエと道化師に徹したメル・ギブソンの真ん中で中途半端という感じ。19世紀の上流社会の舞台設定にパッチワークのような手法が合わなくて変でした。王国の話ではなく現代ニューヨークのコーポレート・エリートの話に変えてしまったイーサン・ホーク主演のバ-ジョンほうが好きです。

 

1.ケネス・ブラナーハムレットは最高でした。彼ほどシェークスピアを理解している人はいないでしょう。【鐵假面の人】さん 10点

2.ケネス・ブラナーシェイクスピアは最高です(^_^)/すごく楽しめました!【カムイ】さん 10点

3.やるべき人がやるべきことをやるべきようにやれば、当然このようなモノができるのです。文句なし。ブラナー万歳。【愚物】さん 10点

4.もうすぐ萬斎さんの「ハムレット」を観劇するので、予習がてらひさびさにビデオ鑑賞。。公開時も思ったけれど、やっぱり面白いですね~!芝居好きの私には、あの演劇臭さが最高です^^ケネスのやりたい放題し放題!って感じで笑ってしまいますけど、彼のシェークスピアはやはり天下一品です!
【演劇依存症】さん 10点

10点の皆さんのコメントはみんな短かくてしっくり来ないです。唯一役にたった情報は野村萬斎さんがハムレットを演じたことです。狂言調あったのでしょうか? 幽玄調、純能楽風を期待してしまいます。そうすると父王以外はみんな直面(ひためん)でしょうか?