かわまりの映画評と創作

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【映画ルーム(128) ニュールンベルク軍事裁判 〜 勝者が敗者を裁くということ 10 点】

【かわまりの映画ルーム(128) ニュールンベルク軍事裁判〈TVM 〉〜 勝者が敗者を裁くということ 10 点】 

平均点:n.a. / 10点(Review 1人)  2000年【米・カナダ】 上映時間:185分

クレジット(配役と製作者)などについては次のURLをご覧ください。https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=24080

 

【注】

邦題は「ニュールンベルグ軍事裁判 ヒトラー第三帝国最後の審判〈TVM〉」となっていますが、ニュールンベルク軍事裁判はこの後、死刑や終身刑には当たらない微罪の戦争犯罪者にも及んだので本作品が取り上げる審理は「最後の審判」ではなく「最重要の審判」と呼ばれるのが相応しいです。

 

【あらすじ】

第二次世界大戦終結し、ドイツのニュールンベルクにナチスの戦犯が集められた。裁判の準備は空襲で焼け野原と化した街で裁判会場を設営することから始まる。最重要人物と目されるゲーリングは看守兵に尊大な態度を取り、事ある毎に同輩囚人にナチスの正統性を鼓吹してユダヤ系イギリス人心理学者の憎悪と分析の冷たい視線を浴びるが、開廷後は英米の検察官による鋭い戦争犯罪の追及に対して独壇場とも言える自信に満ちたナチス擁護を繰り広げる。

 

【かわまりのレビュー】

空襲で焼け野原になったニュールンベルクの、机や椅子などが全て持ち出されて床が塵芥で覆われた裁判所内部でジャクソン検察官の秘書が壁を指して「こんなところモーゼが受け取った十戒タブレットのレプリカがあるわ!」と叫びます。モーゼが受け取った十戒こそが近代国家が遵守する法治主義の原点なのですが、人類の代表として基本法である十戒を受け取ったユダヤ人を迫害したことでゲーリング以下のナチスドイツの高官らは軍事法廷に立たされて審判を受けるのです。この事実からして、ナチスドイツによるユダヤ人迫害は異端審問と同じ性質のものだったと言えないことはないでしょう。「いや、異端審問は審問であり裁判で刑が確定した。」とおっしゃる方はエドガー・アラン・ポーの「落とし穴と振り子」を読んでいただければ異端決定がいかにいい加減なものだったのかがわかります。そもそもモーゼの出エジプトの起源になったエジプト王による迫害も王の母が叔母がモーゼを我が子のように可愛がったことによる血族間の憎しみに端を発しています。そしてユダヤ人のイエス・キリストに対する憎しみは唯一絶対神の信仰が民族宗教にとどまるべきか世界宗教に発展すべきかという考え方の違いに端を発しているようです。憎悪というものは近しい者同士や知った者同士で一層燃え上がるようですが、ナチスユダヤ人に対する憎悪は少なくともヒトラーなど上層部では魔女狩りと同じで不寛容から発するヒステリーだったように思えてなりません。だとするとそれは戦時ヒステリーか不況によって引き起こされたヒステリーであって今の世の中で近代的な法治主義を採用する国家ではありえないと思いたいです。

 


中盤でゲーリングと心理学者として従軍したイギリス人将校との間で「ユダヤ人を大量に殺したのは罪だ、」「連合国だって広島と長崎で罪もない市民を大量に殺したじゃないか」「彼ら犠牲者は連合国の市民ではなかったがナチスドイツが殺したのは自国の市民だった。」という会話がなされ、ここではイギリス人将校が明らかに守勢に立たされています。日本人としてはよくぞ言ってくれたというところですが、東京裁判の結果死刑を宣告された日本人の中で同様のことを主張した人はいたのでしょうか。。。おそらくいなかったと思います。わたしは靖国参拝したことはありませんが、せめて東京裁判で文明を被告とすることや勝者が敗者裁くことの理不尽さを指摘したインド人裁判官ハル氏の考え方を理解してから靖国参拝したいと思っています。

 

【オマケの意見(中身とは関係ありません)】

英語力がそこそこある方だと法廷ものはわかりやすいですよ。被告と原告(検察官)の立場や意見が明確だからだと思います。

 

【参考】

【映画ルーム(48) ニュールンベルグ裁判 〜 過去を裁くということ10点】

https://kawamari7.hatenablog.com/entry/2019/09/03/140017

https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=4734