かわまりの映画評と創作

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【読書ルーム(113) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第4章  マンハッタン計画 (上) 〜連合軍のお尋ね者 2/4  】

 

【あらすじ】

ドイツにおける原子力開発の拠点と見做される研究施設から押収された機材や書類に目を通すうちにゴードスミットは存在してはいたものの、アメリカのそれとは規模が比べものにならないほど小さく進捗においても遅れをとっていたドイツ原子力開発計画の全貌を把握していった。一方で原子力開発の先頭に立っていたハイゼンベルクの行方を掴む手がかりは連合軍の厳しい検閲下でも得られなかった。

 

【本文】

一方、ハイデルベルグでシュトラスブルグやハイガーロッホにあったハイゼンベルクの研究所やその他のドイツの研究施設から持ち寄られた資料、装置の写真などを総合し、アルソスの行動部隊によって連れてこられた科学者らを尋問しながら、ゴードスミットはドイツでの原子力開発の全容を次第に把握していった。一九四二年十二月にフェルミが達成した核分裂の連鎖反応をハイゼンベルクらはいまだ実現してはいなかった。彼らが連鎖反応の加熱を止めるためにどのような物質に過剰な中性子を吸収させていたのか、ゴードスミットは持ち込まれた証拠物件から推測しようとしたがわからなかった。中性子を吸収する物質を反応炉に出し入れして連鎖反応を制御する人間を放射線の照射から守るためにどのような工夫がなされているのかもゴードスミットには理解できなかった。ゴードスミットが持ち込まれた多くの証拠物件に目を通すうちに、狂気のヒトラーに席巻されたドイツを捨てずにナチスの期待を受けたハイゼンベルクが自由と民主主義を信じて祖国イタリアを捨ててアメリカで大きな期待を背負ったフェルミ、そしてシーボーグによるプルトニウム生成の成功を受けて増殖炉を考案しつつある亡命ユダヤ人物理学者のウィグナーらに大きく水をあけられている様が明らかになっていった。ゴードスミットは一九三九年の夏、ミシガン州の自宅の庭でハイゼンベルクフェルミの間で交わされた会話を思い出しつつ、自由を選択したフェルミや亡命科学者らが邪悪な政府に創造性を奪われたハイゼンベルクらに対して勝利したことを確信していったlvii[6]。

 

ゴードスミットにはさらに理解に苦しむことがあった。それは、ハイゼンベルクのチームが原子力開発を進めるに当たり、アメリカのマンハッタン計画の場合とは異なり、「ウラニウム」「核分裂」「原子爆弾」といったプロジェクトの鍵となる用語に暗号が一切使われていないことだった。原子力開発に関して専門用語がそのままで記載されている各種の報告書などに接しゴードスミットは「そもそも、ドイツには原子爆弾開発計画というものが存在しなかったのでは・・・。」とも思った。しかし、ゴードスミットがアメリカ軍事省に宛てて次々とドイツの原子力開発に関する報告をするうち、レズリー・グローブスら、マンハッタン計画に携わる軍隊関係者が「ドイツには原子爆弾開発計画はなかった。」という観測を知らされただけで、不快を表明したということがゴードスミットに伝えられた。そこでゴードスミットは、なかったかもしれないドイツ原子爆弾開発プロジェクトについて推測を巡らすのは止めて科学者、そして諜報部員として、見たままだけを客観的に報告することにした。

 

一九三九年以来、彼等はウラニウム同位体であるウラニウム235を遠心分離法によって天然ウラニウムから分離しようと努めてきました。彼等はプルトニウム核分裂の連鎖反応に使用できる可能性に関して理論的に予測していないわけではありませんでしたが、使用が可能なほどのプルトニウムを生成するには至りませんでした。実際、彼らが自分たちの水準がアメリカのそれを凌駕していると思い込んでいたことを各種記録は示していますが、彼等は核兵器の製造によって第二次世界大戦の結果が左右されるとは考えていなかったようです。彼らの実験設備は彼らが核エネルギーを発電目的の原子炉として利用しようとしていたことを示していましたlviii[7] 。」とゴードスミットは調査書に記載し、ドイツ原子力開発計画において最高責任者の地位にあった、旧友のハイゼンベルクが拘束されるのを待った。

(続く)