【読書ルーム(151) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】
【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 功労者たちのその後 3/9 (アインシュタイン)】
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【本文】
一方、相対性理論によって原子力開発に理論的根拠を与え、晩年に傷心のオッペンハイマーを後継者
として得たアインシュタインはフェルミが亡くなってから数箇月後の翌年一九五五年の始めに七十六歳で亡くなった。
アインシュタインの相対性理論は、ルネッサンス期イタリアの学者トスカネリが唱えた地球球体説が、大西洋を西に航海することによって中国に達しようとしたコロンブスに行動の根拠を与えたのと同様に、ハーン、マイトナー、そしてフェルミらに原子力開発の根拠を与えたが、原子爆弾が実際に開発され、日本に投下されて多数の犠牲者を出したことをアインシュタインは死ぬまで嘆きつづけた。
アインシュタインは第二次世界大戦の前と後に二度、日本を訪れ、アインシュタインの業績と人柄を称える日本の人々にじかに接したが、生前、一九三九年の夏に原子力開発を促す手紙をルーズベルト大統領宛ての書いたことについて質問されると「ナチス・ドイツが原子爆弾を開発しているということを知らなかったならば、あるいは原子爆弾が日本に落とされるとわかっていたならば、あの手紙には決して署名しなかった。」と語った。大統領宛ての手紙の全てを企画したレオ・シラードやシラードと伴にシカゴ大学でマンハッタン計画の基礎研究に従事したジェームズ・フランクらが日本への原爆投下に反対したことだけがアインシュタインにとっての救いだった。アインシュタインは終に一般力学と電磁力学を統一する場の理論を確立することはできなかった。しかし死の直前、日本の湯川秀樹やイギリス人哲学者でノーベル文学賞受賞者のバートランド・ラッセルなど、世界的に名高い各界の知識人十一人に核兵器の廃絶と世界政府の構想を託し、その遺志はパグウォッシュ国際会議という世界政府樹立と平和を構想するための知識人の国際会議という形で実現されている。
(続く)
【参考】