かわまりの映画評と創作

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【読書ルーム(152) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 功労者たちのその後 4/9 (ローレンス)】

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【本文】

人類に原子の火をもたらしたもう一人の巨人、サイクロトロンを開発し、現代の錬金術師とも言うべきマクミランとシーボーグを育てたアーネスト・ローレンスは、水素爆弾開発の必要性を熱心に提唱しながら衰えていく健康と戦った。大学での授業や学生との懇談の際にローレンスが見せる大学教授としての学識や洗練された態度には以前と変わるところはなかったが、学生の間ではローレンスは帰宅後に酒に溺れているという噂が立った。貧しかった大学学部生時代から一貫して道具とそれがもたらすより豊かな世の中を模索し続けてきたホモ・ファーベル(道具人)ローレンスはサイクロトロンの開発によって放射線医療などの新しい応用分野を切り開いた一方で、サイクロトロンの開発が核兵器という破壊手段をもたらしたことや冷戦下において科学者が背負わざるを得なくなった十字架の重さに耐え切れなかったのかもしれない。そして学生たちの噂を裏付けるかのように、ローレンスは一九五八年、五
十七歳の時に消化器官の潰瘍と出血で倒れた。死の床でローレンスはサイクロトロンの科学的成果の確認を焦って新婚旅行を中断したことを愛妻モリーに詫びた。ローレンスが新婚旅行を中断してまでもその建設を追求し、放射線の多岐に渡る応用を志向した、サイクロトロン共和国とも呼ばれるべきカリフォルニア大学バークレー校の放射線研究所は今や大きく成長し、多くの優れた科学者が広範囲に渡る優れた業績を挙げ、放射線が秘めるさらなる可能性を追求し続けていた。
「新婚旅行をやりなおせなかったことだけが人生に残る悔いだ。」とローレンスは死の間際に語った。

(続く)

 

【参考】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9?wprov=sfti1