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【読書ルーム(150) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 功労者たちのその後 2/9 (フェルミ)】

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【本文】

オッペンハイマーの進退が取りざたされた一九五三年の始め、シカゴ大学で学生指導に熱を入れていたフェルミは、原子力開発における功労者を賛えるためにアメリカ政府が創設した、名称はこれをおいて他にはなく、初めての受賞者はフェルミをおいて他にはありえない、エンリコ・フェルミ功労賞を受賞した。しかし、翌年の夏、戦争が終わってから二度目にイタリアに帰国し、講演を行ったり少年時代と若い研究者時代を過ごしたローマやエルバ島で遊んだ頃からフェルミは疲れやすく食欲もなくなり、アメリカへの帰国後まもなく自宅を離れての学会の出席に耐えられず、終に学会の途中でシカゴに帰還した。フェルミは他の多くの科学者たちと同じかそれ以上に、オッペンハイマーの公職からの追放の件でひどく心を痛め、科学者の良心と本来自由であるべき学問への国家権力の介入に対して憤っていたので、事が収まれば以前と同じ体力や精神力を回復できると単純に考えていたのである。しかし妻の薦めで健康診断を受けた結果、フェルミ胃がんに侵されているということがわかった。すでに末期で、医者には手のほどこしようがなかった。


晩秋になり、シカゴの病院で流動食と点滴によって生き長らえながら、フェルミの頭から片時も離れることがなかったのは、後に残さなければならない二人の子供や科学関連の啓蒙書の執筆で身を立てつつある聡明な妻のローラの行く末ではなかった。フェルミは自分と同じくファシズムを嫌い、アメリカを第二の祖国として選んだ同胞エドワード・テラーの、オッペンハイマーの公職からの追放を決定的にして学会から暗黙の追放を受けてしまった後の行く末を想った。フェルミがテラーに会うことを強く希望したので、カリフォルニアに住んでいたテラーはシカゴに赴いたが、病院に到着した時にはフェルミは極度に衰弱し、一日に面会することのできる人数と一回当たりの時間を厳格に守らなければならなかった。しかし、それでもフェルミはあるだけの力をふり絞り、イタリア人気質(か た ぎ)の明るさを揮って旧友テラーに接しようとした。フェルミはテラーの告白に耳を傾け、テラーとオッペンハイマーとの間に起きたことの全てを許容し、核兵器開発や物理学会学会の上にこれから起きることの全てを絶対者に託すことでテラーの魂を救おうとした。テラーはオッペンハイマーを尊敬する全ての科学者たちから黙殺されてはいたが、死と向かい合っているフェルミは大多数の科学者たちの平和を望む心情と全体主義に対するテラーの憎悪の両者をともに受け入れることができた。そしてテラーが去ってまた独りきりになると、フェルミは自分の腕につたう点滴が落ちる様を見つめながら物質界の神秘に挑
んだ自らの来し方と第二の火である原子力を手中に収めた人類の行く末に想いを馳せた。やがて死期を悟ると、フェルミは病室にカトリックの司祭とプロテスタントの牧師とユダヤ教のラビ(教師)を次々と呼んで自分の「罪」を告白し、魂の救済を乞うた。人類に原子の火をもたらした巨人フェルミはこうして一九五四年十一月二十九日に五十三歳で燃え尽きた。

(続く)

 

【参考】

エンリコ・フェルミ (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F?wprov=sfti1