かわまりの映画評と創作

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【映画ルーム(159) 英国万歳! 〜 王朝初の英語を話す英国王… 5点】

【映画ルーム(159) 英国万歳! 〜王朝初の英語を話す英国王… 5点】平均点:6.70 / 10点(Review 10人)   1994年【英】 上映時間:107分  クレジット(配役と製作者)などについては次のURLをご覧ください。 https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=409 

 

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【あらすじ】

「王は君臨すれども統治せず。」の原則が確立された18世紀最後のイギリス国王、敵国フランスの敵ドイツから迎えた王室の三代目にして初めて英語をまともに話した国王ジョージ3世はアメリカ独立の頃から周囲の誰の目にも明らかなほど言動が異常だったが、ある日おつきの者が王の排泄物の色が変なのに気がつく。現在なら対症療法が知られている国王の代謝異常に対して周囲は皇太子を摂政につけ、議会の権力を拡充し、そして専門医を採用して王の精神的負担を軽減しようとする。イギリスの議会制民主主義成熟の過程で起きた珍事の顛末。

 

【かわまりのレビュー】

ちょっと期待はずれでした。というのもジョージ3世とシャーロット王妃に関しては喜悲劇両方のいろんなエピソードが知られているからです。まず同国王の戴冠式の日、王冠にはめてあった一番大きな宝石が抜け落ちて国民は後にこれはアメリカ独立の予兆だったんだと思ったということ、そしてドイツ貴族の娘だった容姿も中身も平凡なシャーロット妃がイギリス王妃に選ばれたので7日以内に渡英の準備を完了するよう言われてショックで気絶したこととか、結婚式で素材と縫いこまれた宝石の重さに耐え切れずに新王妃の衣装の肩の縫い合わせが万人が注視する教会のど真ん中で一気にほどけたこととか・・・。こういうエピソードも盛り込んで、国王が狂気に徐々に犯されていく過程をじっくり描いてほしかったです。英語のWikipediaを読んでも国王の持病だった代謝異常のポルフィリン症が狂気に直結するとは書いてないし、ポルフィリン症は国王の狂気の引き金だったかもしれないけれど、むしろ国王がハーノーバー朝イギリス王家で初めて英語を母国語として話したという事実やフランス大革命や産業革命を含むいろんな社会情勢や国際情勢が国王の精神を蝕んでいったという仮説にたって史実を再現してほしかったです。 ところで、Wikipediaからのおまけの知識ですが、現在知られているポルフィリン症の対症療法とは患者に直射日光を避けさせることだそうです。ポルフィリン症の怖い点は精神異常ではなく、太陽光線の作用によって臓器に結石ができることだそうで、この病気がある人は今ではみんな直射日光の下では日焼け止めなんかで完全武装するようです。ジョージ3世は狩猟きちがいみたいでしたから、頭のネジがはずれるような具合で結石ができていたのかもしれませんね。

 

その他のレビューは https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=409   をご覧ください。

 

【独り言】

目下連載中の「黄昏のエポック 〜 バイロン郷の夢と冒険」の時代背景を知る上で重要な作品(コメディーではありますが)、わたしの感想の結論は上の通りです。もっともっとコメディーっぽく出来ないことはなかったのですがそこはイギリスの現王室の直系のご先祖のお話しとあってこれ以上おちゃらけた演出は出来なかったようです。主人公であるジョージ三世に纏わる逸話として結婚式でシャーロット妃の衣装が分解したことだけではなく、即位式で王冠から特大の宝石が抜け落ちたことありますが、それらの事実は視覚化しない方が、またアメリカ独立の事実には触れないのが現王室に対する思いやりなのでしょう。ジョージ三世は「我こそは現ハーノーバー朝イギリスの第三代目の国王にして初めて国語である英語をまともに話せる国王!」と大いに気負っていたのでしょうが、イギリスはすでに国王が全てを決済し、全てに責任を持つ絶対王政の時代を卒業していました。「国王だからってそんなに気負わないでください。国民が選んだ議会とその議員・首相が一切の責任を負うんですから…。」という優しさは第二次世界大戦後の日本人と共通です。

 

さて、「黄昏のエポック」の次の舞台はイタリアです。イギリスとは異なってラテン語起源のイタリア語とその方言を共通に話しながら各地で東方貿易で名と財を成した富豪や土豪が独自の文化を開花させたイタリアはイギリスとは全く異なる政治風土を持っていましたが、イタリア人の未来に向けての趨勢が確立したのはナポレオン戦争でした。イタリア各地の良識ある人々はイタリア語の姓を持つナポレオンを尊敬しながらもなんとかして長靴の形をしたイタリア半島を近代的な政治制度と手段でもって防衛したいと考えたのですがそれは平坦な道のりではありませんでした。しかしナポレオン戦争後、日本の明治新政府が軌道に乗る19世紀後半まで持続したこのイタリア人の渇望の核であり、起爆剤となったのはナポレオン失脚後の反動体制下でイタリア北部を支配して圧政を行ったオーストリアに対する憎しみでした。イタリア人がいかにオーストリアの国と国民を憎んだかはヴィスコンティ監督の名作「夏の嵐」を見ていただけばおわかりになるでしょう。下のURLをご覧になった上で是非鑑賞してみてください。

 

https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=4719

 

https://kawamari7.hatenablog.com/entry/2019/12/12/113131