かわまりの映画評と創作

読書ルームではノンフィクションと歴史小説を掲載

【映画ルーム(34) 哀愁 (1940年) 〜 愛するがゆえに 8点】

【かわまりの映画ルーム(34)  哀愁(1940年)〜  愛するがゆえに  8点】平均点:7.46 / 10点(Review 48人)   1940年【米】 上映時間:108分   クレジット(配役と製作者)などについては次のURLをご覧ください。 https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=1570

このブログの内容全ての著作権はかわまりに帰属し、映画タイトルの次、"〜"のすぐ後ろのキャッチコピー、【独り言】と【参考】を除く部分の版権はjtnews.jp に帰属します。平均点とレビューワー数はアップロード時のものです。

 

【あらすじ】

第二次世界大戦勃発翌年のイギリス。出征直前にロンドンで自由行動を許された貴族出身の軍人ロイ・クローニン大佐は空襲警報が発令された時に偶然出くわしたバレー団の団員らを避難所に誘導し、群舞のメンバーで孤児のマイラと知り合う。いつ前戦に送られるかわからない身の上のロイとバレー団以外によるべのないマイラは恋に落ち、すぐに結婚へと話が進むが、教会の都合で結婚式が延期になった直後にロイは前戦に送られる。ダンスがおろそかになったとしてマイラはバレー団を解雇され、さらに戦死者名簿の中にロイの名前を見てしまう。

 

【かわまりのレビュー】

映画製作当時、アメリカは世界大戦への参戦の是非を巡る論議が沸騰してはいましたが、まだ参戦はしていませんでした。ナチスによる空襲を受けるロンドンの様子が対岸の火事(と言っては製作者に失礼でしょうが)か、でなければ今のSFもののタッチで描かれていたのが印象的でした。「だから戦争なんかやめようよ。」という厭戦気分いっぱいの内容は敗戦後の日本人の気持ちに通じるものです。ルーズベルト大統領が阻止しようと思ったらいくらでも阻止できたはずの日本軍の真珠湾攻撃をわざと見逃すことによってでしか参戦の世論を獲得できなかったのも、この作品に濃厚に描かれているような戦争のもたらす悲劇を想定し、回避したいと思っていたアメリカ人が大勢いたからですし、また、言論の自由が保障されていたアメリカで反戦の主張や心情を肯定するこの映画のような芸術作品を作ることが自由にできたからなのです。ロイの死の知らせという悲劇は悲劇として、なぜヴィヴィアン・リーが演じるマイラは戦争が終わった時点で頭を切り替えなかったのかと思うのですが、日本と同様にイギリスでも本当の戦禍は復員兵が戻ってきてからだったのでしょうか。作品の中ではっきりとは描かれてはいませんが、復員兵が乗った列車を出迎えたマイラが意図していたこと、そして欧米では化粧室以外の場所で鏡を見たり化粧を直すのはどんな女性かなどということを考えれば、監督が画面には出さなかったマイラの生活のどろどろした実態を容易に推測することができます。

 

10点の人のコメント

https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?POINT=11&TITLE_NO=1570

9点の人のコメント

https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?POINT=10&TITLE_NO=1570

8点の人のコメント

https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?POINT=9&TITLE_NO=1570

7点(最頻出点) の人のコメント

https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?POINT=8&TITLE_NO=1570

 

【独り言】

あの〜〜。かの名作「風とともに去りぬ」のコメントにも散見されるのですが、「さすがアメリカ、戦争中によくこんな映画作った!」という方がいらっしゃるのですが、この作品が作られたのは1940年でアメリカが第二次世界大戦に参戦したのは1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃の後です。かく言うわたしもアメリカの参戦は真珠湾攻撃の後だということは知っていても正確な年月日は知らず、”Waterloo Bridge”という原題でヴィヴィアン・リー主演のこの作品はイギリス映画だとばかり思っていました。