【読書ルーム(155) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】
【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 功労者たちのその後 7/9 (オッペンハイマー)】
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【本文】
翌年、共和党選出の年老いた大統領アイゼンハウアーが去り、民主党のジョン・F・ケネディーが四十台半ばの若さで大統領に就任すると、トルーマン大統領の二期目からアイゼンハウアー大統領の時代にかけての行き過ぎた共産主義排斥が見直され、オッペンハイマーの諮問委員会への復帰も取り沙汰たれた。しかし、そのためには今一度公聴会を開いてオッペンハイマーを覆った過去の事実に関する疑惑を晴らす必要があった。オッペンハイマーはこの申し出を丁重に断った。長年の激務と喫煙の過剰でオッペンハイマーの健康は衰え、オッペンハイマーは緑に覆われたニュージャージーの自宅とワシントンDCの間を行き来する生活はもはやしたくないと思っていた。そこで二年後の一九六三年、アメリカ連邦政府はマンハッタン計画での功績を称えてオッペンハイマーにエンリコ・フェルミ功労賞を授与することに決定した。授賞式が行われるほんの数週間前にケネディーはダラスで暗殺され、オッペンハイマーはケネディーに替わって大統領に就任したジョンソンから賞状とメダルを受け取った。
オッペンハイマーは一九六七年、六十二歳でニュージャージー州の自宅で喉頭がんのために亡くなった。オッペンハイマーが亡くなる三年前の一九六四年には、日本への原爆投下に最後まで頑強に反対したジェームズ・フランクとレオ・シラードが共に他界した。
(続く)
【参考】