かわまりの映画評と創作

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【読書ルーム(95) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第4章  マンハッタン計画 (上) 〜 軍の関与と計画の拡大 3/5 】

 

【あらすじ】

巨額の予算を付与されてフェルミをリーダーとする核分裂の連鎖反応惹起のチーム、ローレンスのサイクロトロンとユーリーのガス分離法によるウラニウム235分離の2チーム、シーボーグらによるプルトニウム生成と化学的性質特定のチームなどに全部で千人を超える科学者を配置してマンハッタン計画が開始され、全体の先陣を務めるフェルミはグローブス准将や他チームの根拠のない憂慮を一笑に付して世界初の原子炉をシカゴ大学構内に設けると宣言したが、グローブス准将はこの頃から巨大な科学者集団を統括するのは自分ではなくやはり科学者でなければならいのではないかと考え始めていた。

 

【本文】

一九四二年の一年間に政府からシカゴ大学に供与された資金は物件費が五十九万ドル、人件費が六十一万八千ドルだったxlvii[6]。研究の中心はフェルミとシラードが担当する核分裂の連鎖反応、カリフォルニア州立大学バークレー校から出向してきたグレン・シーボーグらのプルトニウム生成・分離、そしてプリンストン大学から来たユージン・ウィグナーによる増殖炉、すなわち核分裂によるエネルギー発生とプルトニウム生成を同時に行う装置の開発だったが、これら以外にもプロジェクトには解決しなければならない技術的な問題が数多くあった。ともあれ、ニューヨークのコロンビア大学にいた頃とは桁違いの予算を認められたフェルミのチームはウラン塊と産業向けには通常生産されない純度の高い黒炭を大量に与えられ、世界初の原子炉の建造に本格的に着手した。

 

一九四二年の十月初旬、大都市に住むイタリア系住民がコロンブスによるアメリカ大陸望見の四百五十周年を記念し、かつ、父祖の国イタリアをファシズムから解放しようと気炎を上げている間、フェルミやシラードらは世界初の原子炉の設計に余念がなかった。世界初の原子炉はシカゴ郊外の「アルゴンの森」と呼ばれている地区に新たに研究所を設置し、その中で建設されるよう予定され、同年十月下旬完成の予定で労働者を集めて施設の建設が始められた。ところが、思いもかけない労働者のストライキで世界初の原子炉の建設は原子炉を収容するビルの建設の段階で目処が立たなくなってしまった。この状況に接したフェルミは宣言した。
「世界初の原子炉はシカゴ大学の構内に、私たち科学者自らの手で建設します。」

 

これを聞いた大学当局は驚いた。確かに、研究で忙しい科学者たちがシカゴ大学から離れた郊外に原子炉の建設状況の視察のために頻繁に赴くのは面倒なことではあった。「しかし、労働者を使わずに科学者たちが研究の傍ら自ら原子炉を建設するとは・・・。」ふんだんな資金を与えられたプロジェクトに関係する科学者たちはいぶかった。しかし、理論を実証するためならどんな労苦をも厭わないフェルミは頑として主張を変えなかった。
「でも、もし万が一核分裂が加熱したりしたら・・・。」


フェルミはこの懸念を一笑に付した。フェルミらの実権チームの意図に反し、中性子を吸収することによって核分裂を沈静化させてしまう物質や沈静化の過程などをフェルミは知りすぎるほどに知り尽くしていた。
「でも、シカゴ大学の構内には原子炉を建設できるような広い場所がない。」とあくまでもシカゴ大学構内での原子炉建設に反対する意見に対してフェルミは「スタッグ・フィールド。」と答えた。スタッグ・フィールドというのはシカゴ大学の屋内運動施設で、球技を行うために天井は通常の教室や研究室よりも高く、学生時代に陸上選手としてならしたフェルミがしばしば気分転換に学生を相手に球技を楽む場所だった。こうして世界初の原子炉はシカゴ大学の屋内運動場スタッグ・フィールドのスカッシュ・コートに建設されることになった。この頃から、プロジェクトの関係者たちは世界初の原子炉が建設されることになったスタッグ・フィールドを「自殺区画」、フェルミのことを「提督(アドミラル)」と呼ぶようになった。四百五十年前、一般の無知な船乗りたちは地球は平らで海上を船でどこまでも進むとやがて滝のように急激に水を吸い込む奈落の底に転落すると信じていたが、地球球体説を信じたイタリア人の船乗りコロンブス提督は大西洋の鏡のような海上をサンタ・マリア号で西へ西へとどこまでも進んでアメリカ大陸に到達したのである。


フェルミらがもはや手中にしたも同然の世界初の原子炉の最終段階の青写真を練っていた頃、レズリー・グローブスは手狭になってきたシカゴの研究各棟から次の段階に資する科学者たちを送り込む場所のことに心を砕いていた。グローブスが思い描いていたのは大きな工場だった。シカゴで今まで通り、原子力に関する基礎研究が続けられる一方で、その研究成果を原子爆弾の完成という形で技術的にまとめるための場所が必要だった。グローブスは原子爆弾の完成を確信し、そのために必要となる条件も理解していた。ウラニウム235が分離されることとプルトニウムが量産されること、その二つの条件に加えてフェルミ核分裂の継続的な連鎖反応を成功させれば、原子爆弾が作りあげられることはまちがいなかった。ウラニウム235の分離とプルトニウムの量産にもそれぞれ大規模な設備が必要とされると考えられたが、グローブスはまず、念頭にある条件が全て整うという前提で、原子爆弾を組み立てる場所を見つけることにした。多くの科学者たちの研究成果を総合し、最終生産物となる原子爆弾の製造にはとりわけ機密保持が必要とされ、場所の選定にも注意を要した。しかし、場所の選定に決断を下す前にグローブスにはもう一つ、考えなければならない問題があった。原子力開発が軌道に乗り、工場が稼動するような段階に至った時に技術者としての経験があるとはいいながら、軍隊出身の自分が全てを統括しきれるものではないことをグローブスは承知していたのである。

(続く)