【読書ルーム(75) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】
【かわまりの読書ルーム『プロメテウス』第3章 プロメテウスの目覚め〜再び錬金術 1/5 】
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【本文】
ヨーロッパから大西洋と広大なアメリカ大陸によって隔たれたカリフォルニア州バークレーで、アーネスト・ローレンスは他大学の物理学者からの口コミやさらにはフランスのジョリオ=キューリー夫妻による大胆な学説発表の影響によって核分裂による莫大なエネルギー放出の可能性に関する予感を次第に現実のものとして感じるようになっていた。ただ、自分が最も力を注いできたサイクロトロンと原子力開発との関係については、原子核を破壊したり人工的に放射線を発生させることのできるサイクロトロンが原子物理学で大きな役割を担うに違いないという予感以上にサイクロトロンのはっきりとした役割を期待しているわけではなかった。
ローレンスは一九三九年の十二月にサイクロトロン開発の業績によってノーベル物理学賞を授与された。心血を注いで開発したサイクロトロンの学問の発展に寄与したとして評価機関としては世界の最高峰であるノーベル賞委員会に評価されたことによってローレンスの物理学者としての仕事には一つのくぎりが訪れ、新婚旅行を途中で中断した際に妻に約束した「もっと時間をかけた旅行」をスエーデンのストックホルムまでの往復旅行で果たすことが通常の時節ならば可能だったのである。しかし、一九三九年九月の戦争勃発直後に弟ジョンを乗せた大西洋を横断中の客船が一時期消息を絶ち、ナチスによる撃沈の噂が流れて一時はて生きた心地もしなかったローレンスとその妻は、ヨーロッパに出向いてノーベル賞授賞式に出席することを見合わせた。ヨーロッパから遠く離れたアメリカ西海岸のカリフォルニア州に居てでさえ、前年にフェルミの教え子でムッソリーニ政府の反ユダヤ政策のせいで気のみ気のままでカリフォルニア州立大学に職を求めたエミリオ・セグレに助手の職を世話するなど、ローレンスにとってヨーロッパで起きつつあることは看過するべきではない身近な出来事に感じられ、一年前にノーベル賞を受賞し、その際に妻子を連れて華麗な逃亡劇を演じたフェルミを羨み、ナチス・ドイツを心から憎んだのに違いない。
その頃、カリフォルニアでは一九二九年秋の株式大暴落とその余波である経済恐慌こそ一般的に感じられるものの、数少ないポストに採用される亡命ユダヤ人科学者の近辺にいる者以外はヨーロッパの動きを肌で感じることが少なかったようである。そのような時節、ロバート・オッペンハイマーの弟で兄と同じく物理学を専攻し、ヨーロッパへの留学を経てカリフォルニア工科大学の教員になっていたフランク・オッペンハイマーが突如として解雇されてしまった。理由は、兄ロバートと同じくらい世間知らずな上に直情家でもあるフランク・オッペンハイマーが同僚に向かって「鼻持ちならないブルジョア」という意味のことを叫んで罵倒したことだった。フランク・オッペンハイマーは共産主義の勉強会に頻繁に顔を出す兄に倣って共産主義に関心を持っただけではなく、兄に先んじて妻と共に共産党に入党していた。弟フランクの言動にはいつでも責任を感じている兄ロバート・オッペンハイマーはローレンスに頭を下げ、拡張を繰り返して今では「放射線研究所」という名称を得ているローレンスの研究所で弟を雇ってほしいと頼み込んだ。
フランク・オッペンハイマーを面接してその学歴や知識が申し分ないこと確認したローレンスは、自分の弟分とも言えるロバート・オッペンハイマーの実の弟フランク・オッペンハイマーを放射線研究所に採用しないわけにはいかなかった。
【参考】
拙著「プロメテウス達よ 〜 原子力開発の物語」URL: https://www.amazon.co.jp/プロメテウス達よ-川上真理子-ebook/dp/B01G107PTG/ref=sr_1_3?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=川上真理子&qid=1564781407&s=digital-text&sr=1-3