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【読書ルーム(147) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 ソビエトとの確執 7/8 】

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【あらすじ】

シラードによる調整を経ずに公聴会の証言台に立ったテラーは水爆開発のためにオッペンハイマーを排除しなければならないという自分の考えが科学者全般の意見を代表するものだと信じたまま、ゲッチンゲン時代からの朋友オッペンハイマーを攻撃する証言を行ったが、多くの科学者による自分に対する好意的な証言を聞いた後のオッペンハイマーはそれを聞いて耳を疑った。水爆開発を擁護するもう一人の科学者のローレンスは旧友のオッペンハイマーを排除したいが彼を傷つけたい思いも強く悩んだが、結局公聴会へのアメリカ西海岸からの出席を体調を理由に断り、代わりに書簡を提出したがその内容はオッペンハイマーにとって不利になるように勝手に解釈されてしまう。

 

【本文】

翌日、テラーの証言を聞きながら、オッペンハイマーは目の前に広げていたノートにこう書きなぐった。
「テラー・・・攻撃的で、道義にこだわって、ヒステリーじみた、水素爆弾の持つ二つの面みたいな男!」
証言の後、テラーはオッペンハイマーの席に歩み寄って握手を求める手を差し出した。オッペンハイマーは空ろな青い目でテラーを見上げ、差し出されたテラーの手を黙って握ったが、その時テラーは「すまなかった。」と言い、オッペンハイマーは呆然としたまま「君が何を言いたいのかわからなかった。」と答えた。しかし実際のところ、「オッペンハイマー博士を連邦政府に影響を与えることのできる地位に留めることは好ましくないと私は思います。」というテラーの結論を聞いてからでさえ、オッペンハイマーは自分の耳を信じることができなかったのである。


戦後も引き続きカリフォルニア州立大学バークレー校の教授兼同校付属放射線研究所の所長を勤めていたローレンスはオッペンハイマーに対して三十歳台の若い大学教授だった頃と変わらない友情を感じていた。しかし、オッペンハイマーカリフォルニア州バークレーから去って東海岸に転居し、政治に対する発言権を得たことをローレンスは快くは思っていなかった。マンハッタン計画の完遂は多数の科学者や技術者のチーム・ワークの所産であるのに、その頂点に立っていたオッペンハイマーは最高責任者としての自分の業績を過大評価し、まるでそのせいで自分に政治向きの地位が与えられたかのように振舞っている、とローレンスは思った。ローレンスはテラーと同じく共産主義ナチスと同等の脅威と感じ、水素爆弾の開発はどうあっても継続されなければならず、その障害となるオッペンハイマーは政府から除去されるべきであると考えていた。しかしローレンスは、オッペンハイマーが政治的に失墜して被るかもしれない社会的、精神的な打撃だけはできるだけ緩和してやりたいと考え、またバークレーで長年友情を培ってきた自分がオッペンハイマーの解任を追認するような証言をしたならば、オッペンハイマーが受ける精神的打撃だけではなく、学生や世間一般の自分の人間性に対する評価がどう変わるのかとも考えた。そしてそう考えただけでローレンスはいてもたってもいられない気持ちにさせられたのである。


ワシントンDCでの公聴会で証言を予定していた日の数日前、ローレンスはテネシー州オークリッジで開かれた科学者と技術者の懇談会に出席した。正式な会議の場を離れると話題はオッペンハイマー公聴会のことでもちきりで、ローレンスもオッペンハイマーの旧来の朋友として様々な質問を受けた。ローレンスはそういった質問の重圧にすでに耐え切れず、持病の潰瘍から出血を見た。ローレンスは公聴会を欠席し、バークレーに帰宅した後、公聴会に要請されてオッペンハイマーについての個人的な所見を提出した。


オッペンハイマー水素爆弾の開発に反対する理由は全く根拠を欠いているとしか思えませんでした。」
ローレンスは公聴会にこういう意味の内容を書き送ったが、その後で公の場に引き出されてオッペンハイマーの人柄や自分との関係について問いただされることもなく、当然のことながら、質問に対して親友のオッペンハイマーを傷つけないように気をくばりつつ正直に答えようとして答えに窮することも、また意に反してオッペンハイマーを攻撃してしまうこともなく、ただローレンスの手紙によるこの回答は書いたローレンス本人の意思とは無関係に原子力委員会に有利に、そしてオッペンハイマーには不利なように解釈されてしまった。

(続く)

 

【参考】