かわまりの映画評と創作

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【読書ルーム(109) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第4章  マンハッタン計画 (上) 〜 欧州の戦況と科学者諜報部員 1/3 】

 

【本文】

原子物理学において輝かしい業績をあげていながらマンハッタン計画に招聘されてはいないもう一人の科学者はアインシュタイン以外にもいた。それはオランダ出身のユダヤ人でフェルミやハイゼンベルとゲッチンゲン大学や他のドイツ国内の大学で顔を合わせて彼らの友人となったサミュエル・ゴードスミット(オランダ語 = ハウシュミット)だった。ドイツの大学で物理学に明け暮れる青春を過ごしたマンハッタン計画の参加者たちはゴードスミットが来るのを心待ちにし、同僚の原子物理学者たちが一人、また一人と姿を消すのを知って何が進行中なのを察知していたゴードスミットも政府から声がかかるのを今か今かと待ち受けていた。ゴードスミットはマサチューセッツ工科大学で専門とは直接的には関係のないレーダー装置の開発に従事させられていた。しかし、アメリカの参戦から二年が過ぎてもゴードスミットはマンハッタン計画に招聘されなかった。しかし、これはプロジェクトの責任者たちがゴードスミットの存在を忘れていたためではなかった。プロジェクトの中枢はアメリカや友好国で原子物理学やその関連分野の研究を行っているありとあらゆる科学者の研究内容ばかりではなく、出自、思想信条、家族関係から専門と関係のない特技、趣味に至るまでを調べ尽くしていたが、ゴードスミットに関しては以下のような内容が把握されていたのである。

 

「サミュエル・A・ゴードスミット。一九○二年オランダのハーグに生まれる。アムステルダム大学で博士号を取得後、ドイツのゲッチンゲン大学、チュービンゲン大学、コペンハーゲンのボーア研究所などで研究に従事する。専門は原子物理学/量子力学。原子内部における電子のスピンに関する理論実績あり。一九二七年にアメリカに移住しミシガン州立大学アン・アーバ-校の教員となる。すでに米国籍を取得。宗教はユダヤ教。英語と母国語のオランダ語に加えてドイツ語 = とフランス語に堪能。趣味は犯罪学とエジプト考古学の研究、骨董品の収集。」

 


レズリー・グローブスはゴードスミットの身上調査書を何度も目にし、そしてその都度、ゴードスミットをプロジェクトに今すぐ招聘したい欲求を抑えて調査書を脇に押しやった。グローブスがゴードミットを招聘しなかったことは、すでに多くの優秀な科学者を抱えるプロジェクトの余裕とすでに招聘した科学者たちに対する信頼の証だったが、ゴードスミットが招聘されなかった理由はそれ以上にグローブが近い将来ゴードスミットの活躍が必ずや期待される大きな賭けを念頭に置いていたからだった。

 

一九四二年十一月にモロッコアルジェリアに上陸した米英連合軍は翌年五月には北アフリカからドイツとイタリアの勢力を駆逐し、七月にはシチリア島を占拠、九月には反ファシストパルチザンに拘束されたムッソリーニの政府に代わったイタリアの政権は連合国に降伏した。

 

この動きに対応してグローブスはある目的を専らにする諜報組織を結成し、この組織に採用された者の一人が組織にグローブ(木立)のギリシア語である「アルソス」という名前を与えた。そのアルソスの目的とは、ドイツの原子爆弾開発計画の進捗状況を探り、ドイツによる原子爆弾開発計画を頓挫させるためのあらゆる諜報活動を行うことだった。一九四四年になり、グローブスのアルソス・ミッションは戦略工作局lvi[5]の原子爆弾関連調査部を吸収し、アルソスの任務はアメリカ国内における原子爆弾開発と並んで一層重要性を増した。

 

アルソスはまず、手始めにイタリア国内の研究機関で原子力開発が行われていた形跡を探ったが、著し
い成果を上げられないまま、スイスなどを拠点として諜報活動を行い、ある時終にハイゼンベルクが講演のためにスイスのチューリッヒに赴くという情報を得た。

(続く)