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【読書ルーム(138) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 功労者たちのその後 5/7 】

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ここで取り上げられたマンハッタン計画の功労者はニールス・ボーアです。ボーアはマンハッタン計画では特別な役割がありませんでしたがヒトラーを憎む科学者らの精神的支柱になったという意味での貢献者と言えます。またイギリスから派遣されてソビエトに機密を漏洩した科学者やアルソスzミッションの科学者トップだったサミュエル・ゴードスミットにも言及します。

 

【本文】

一九四三年にデンマークを脱出して以来、イギリスとアメリカの間を行き来する渡り鳥のような生活を送っていたニールス・ボーアは、ナチス・ドイツから解放されたデンマークに戻るためにロンドンの住居を整理している時に広島への原爆投下の報道に接した。マンハッタン計画で教え子たちや信奉者たちに「プロジェクトの神父か教皇」と呼ばれて慕われたボーアは日本で起きてしまった大規模な殺戮と破壊に大きく心を動かされ、責任を感じないわけにはいかなかった。


ボーアはロンドン・タイムスに手紙を書き送った。ボーアは口下手なだけではなく、作文をしても自分で満足のいく文書を完成するまでにたいへんな時間と労力を費やさなければならなかった。実際、若い頃のボーアが、終生連れ添うことになった妻マルグリータを結婚相手に選んだのも、マルグリータが作文とタイプ打ちを得意としていたことが大きな理由の一つだったのであるが、マルグリータをスエーデンに残してイギリスに渡った後には、先にイギリスに来ていた成人した息子で物理学者のアーゲが母に代わって父の秘書役を勤めた。ボーアの手紙はボーアとしては驚異的な速さで清書され、広島への原爆投下の五日後、八月十一日のロンドン・タイムズに「科学と文明」という表題で掲載された。


「人類は正に恐るべき破壊手段を容易に手にしつつあり、人類社会全体が早急にこの状態に適応することなしにはそれは絶体絶命の脅威となるでしょう。文明は今までに例のないような深刻な挑戦を受けています。どのような防衛もこの新しい破壊手段に対応することができません。そして国際的に抑制がなされることなしにはこれらは惨禍を引き起こすでしょう。目下の不安定な状況に対処するためには全ての国家の良心が絶対に必要とされます。文明そのものが存続を問われるような挑戦を受けているということを私たちは認識する必要があります。xcvii[13]」


寡黙なボーアが筆による熱弁を振ったのはこの時が初めてではなかった。オークリッジとロス・アラモスで原子爆弾が開発される模様に直に触れた後の一九四四年の春、ロンドンの仮住まいに戻ったボーアは、その時のイギリスの首相だったチャーチル宛に手紙を書いた。その手紙の中でボーアはソビエトとの戦後の信頼関係を打ち立てるためにはアメリカとイギリスが原子爆弾開発計画を行っていることをソビエトに今から告げておくべきだと語った。ボーアはナチスファシズム軍国主義に対して自由と民主主義が勝利を収めた戦後の世界には必ずや、資本主義と社会主義の対立が訪れると考えていた。

ボーアの考え方はシカゴ大学連邦政府の高官に宛ててフランク・レポートを作成したジェームズ・フランクやレオ・シラードにも共通するものだった。しかし、彼らの考え方と現実とに相違があったとすれば、それは資本主義と社会主義の対立は第二次世界大戦における連合国の勝利の後に訪れるのではなく、強制収容所や爆撃といった目に見える形で進行中だった戦争の惨劇とは別に、陽の当たらない場所ですでに戦われていたということである。


一九四三年の秋、ボーアがイギリスの使節団の一員としてアメリカを訪れた際に船の中で毎日のように顔を合わせ、団長のチャドウィックや同僚のフリッシュ、パイアールズらにも信頼されていたドイツ出身の物理学者クラウス・ファックス、苗字のドイツ語 = の発音を「フックス(狐)」というこの男はソビエトのスパイだった。

 

ファックスが研究目的でイギリスに滞在していた時に世界大戦が勃発したのであるが、オーストリアやドイツから亡命してきた同僚のユダヤ人フリッシュやパイアールズとは異なり、ファックスはドイツ国籍のキリスト教徒だというだけで敵性外国人としてカナダにある強制収容所に送られてしまった。ファックスが所属していたキリスト教の宗派は、ナチスを嫌ってドイツを去り、エジンバラ大学の教授となってイギリスへの帰化の手続きを進めていたマックス・ボーンと同じ、非戦を原則とする新教だった。マックス・ボーンが学究目的でイギリスに来たファックスが抑留されたことは不当であると当局に訴えたため、ファックスは釈放された。しかしイギリスに戻った時にはファックスはナチス・ドイツだけではなくイギリスをも密かに憎むようになっていたのである。


ゲッチンゲン大学において優秀な学生を門下から輩出し、学生指導において定評のあるマックス・ボーン教授から強い懇願があったことを聞き、第一次世界大戦中に敵性外国人としてドイツに四年間も抑留されて辛酸を舐めたチャドウィックは若い研究者には自分と同じ経験は決してさせまいと考えた。またファックスの宗教信条がマックス・ボーンと同じだったということも手伝い、チャドウィックはファックスを暖かく自分の仲間に引き入れた。マンハッタン計画の初期にコンプトンがもしかしたら犯していたかもしれない過ちをチャドウィックは犯してしまったのである。コンプトンは外国人であるエンリコ・フェルミやレオ・シラード、ユージン・ウィグナーらを、学問に対する情熱とナチス・ドイツやフ
ァシズムに対する憎悪の故に絶対的に信頼した。チャドウィックもまた、学問に対する情熱とナチス・ドイツに対する憎悪の故にファックスを全面的に信頼した。しかし、学問に対する情熱とナチス・ドイツに対する憎悪は連合国の原子力開発計画の参加者となるために必須の条件ではあったが十分条件ではなかったのである。ナチス・ドイツに対する憎悪だけを動機として原子力開発計画に参加し、ドイツの降伏直後に政府の許可を得ずに勝手にイギリスに帰ってしまうことになるジョゼフ・ロートブラットをプロジェクトに採用したことは、チャドウィックの人事における軽い失敗例であるが、一方のクラウス・ファックスは、イギリスではフリッシュやパイアールズらと共に原子爆弾の開発、主として爆弾の設計に携わり、チャドウィックらと共にアメリカに渡って後は、最初はコロンビア大学で、後にはロス・アラモスの研究所において、マンハッタン計画内部での原子爆弾の情報を欲しいままにし、ソビエトマンハッタン計画内部の大量の情報を無償で流していた。ポツダム会談において、トルーマン大統領が原子爆弾の使用による戦争の早期終結の可能性をスターリンに告げた際にスターリンが浮かべた意味ありげな笑いは、アジア戦線でソビエトが参戦する必要がなくなったことに起因する安堵感を表していたわけではなかった。ソビエトは広島と長崎への原子爆弾投下によって日本政府が総崩れとなった後、ポツダム宣言を受諾するまでの間に日本に対して宣戦布告を行ったが、その頃、ソビエトはクラウス・ファックスが提供する詳細な情報に基づいて実行に移されている原子力開発の二年目を迎えていたのである。

 

マンハッタン計画の初期にコンプトンが犯していたかもしれない、チャドウィックが実際に犯してしまった誤りを、アルソス・ミッションの諜報部員としてヨーロッパに渡ったサミュエル・ゴードスミット(オランダ語 = ハウシュミット)も、それがコードスミット自身の職務の根幹に関わるものではなかったとはいえ、やはり犯していた。


ゴードスミットはコレージュ・ド・フランスフレデリック・ジョリオを尋問し、ジョリオがナチスの科学者を撹乱していた事実を知って彼を許してもよいという鷹揚な気持ちになったが、ゴードスミットがいまだヨーロッパに滞在していた間にフレデリック・ジョリオは世間一般に対して衝撃的な告白を行ったのである。地下に潜入してナチスに抵抗する手段を探し求めていた間、ジョリオは共産党員と知り合い、共産党に入党していた。しかし、ナチス・ドイツによって両親を奪われたゴードスミットにとって、占領下の科学者がナチスに協力したか否かがその科学者を許すか否かの唯一の基準になっていた。コンプトンやチャドウィックとは異なり、ゴードスミットはもはや学問に対する情熱の程度によって科学者の価値を判断することはなかった。ゴードスミットにとっては、ハイゼンベルクがそうだったように、邪悪な政府の下で学問の灯火にしがみついた者はそれだけで邪悪な政府の協力者、すなわち悪そのものに他ならなかった。
* *

(続く)

 

【参考】

クラウス・フックス (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9?wprov=sfti1