かわまりの映画評と創作

読書ルームではノンフィクションと歴史小説を掲載

またひと休み

第六話をアップしている間にアメリカの大統領就任式があり、1月21日を底として訪問者数がV 字型に落ち込みまた上昇しました。わたしはこのことが、わたしのブログの訪問者、特に目下連載中の「黄昏のエポック」を読んでくださっている皆さんがわたしと同じく、またはバイロン郷がそうであったように政治理念に大きな関心を寄せるような方であるからだといいな…と思っています。

 


第六話でバイロンは親友ホブハウスと愛してやまない少年エーデルトンとに導かれ、また年少の頃からのナポレオン崇拝とフランス革命への関心も手伝って政治への関心を得ました。わたしはホブハウスに「イギリスは真昼の道を行く先進国。」という台詞を喋らせましたが、ちょうどそれより三十年ほど前にイギリスよりも更に高い理想を掲げて独立したアメリカの現在のテイたらくは一体何なのでしょうか? 詳しくは目下、日に日に規制を強めているヨウツベで適当な動画をご覧になっていればお分かりだと思います。そしてつい先だって完結した第六話の中でバイロンが書き上げた3つの作品の中で最も意欲的に創作された「イングランドの詩人とスコットランドの批評家」は言論の自由を讃え、謳歌するために書き上げられました。彼が今のアメリカと世界の状況に口を挟むことが出来れば一体何と言うでしょう。

 


ともあれ、今の時点で明日の未来を切り開くのは今の時点でこの世に生きているわたしたちです。ただわたしたちはバイロンを始めとする現在の政治理念の先駆者達の情熱を引き継ぎ、それをより良く現実世界で生かさなければいけません。ということで次の第七話はバイロンが政界デビューを果たし、また東方旅行で得た、ロマン的心情が溢れ、諸外国の民族の心情と文化にも深い関心を寄せる「ハロルド郷の巡礼」が閉塞的なイギリスの貴族社会で一世を風靡し、正に得意の絶頂期に至った頃の逸話になります。バイロンのイギリスでの政治家生命と文壇の寵児としての評価がどのように終焉を迎えたのかは皆さんは既にご存知です。第六話の時点ではバイロンを数学者に育て上げようとしたマシューズと社会的弱者に目を向けさせたエーデルトンは既にこの世の人々ではありません。そして第七話でバイロンはマシューズとエーデルトンの強い影響から脱してはいますが第一話と第三話で経験していた自分の天命を探し求める苦闘は未だ経験していません。ある人とその魂を重層的、あるいは立体的に描くためにはあえて時系列の叙述から脱してみるのも一つの方法ではないかとわたしは思い、本作でそれを試行しています。

 


ところで、これはこの作品を一応脱稿してから気づいたのですが、十のエピソードから成るこの作品の実に3分の1に当たる四つの挿話は主人公にして我らが理念実現の英雄であるバイロン郷の涙で幕を閉じます。第八話に至っては、バイロン郷は幕引きの場面のみならず中間でも涙に等しい錯乱状態に陥ります。また読み返してつくづくまるで源氏物語のように主人公を持ち上げてばかりだと感じています。アマゾンの方で書きましたが、この作品の原型は源氏物語ではなくて伊勢物語で、伝記や司馬遼太郎流の歴史小説の向こうを張ろうとしたわけでは決してないので読者の皆様もその点はご容赦願います。