かわまりの映画評と創作

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【映画ルーム(115) アンナ・カレーニナ 〜 アンナの恋は何だったのか 6点】

【かわまりの映画ルーム(115) アンナ・カレーニナ 〜 アンナの恋は何だったのか 6点】 平均点:5.69 / 10点(Review 13人)  2012年【英・仏】 上映時間:130分  クレジット(配役と製作者)などについては次のURLをご覧ください。https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=21008

 

【あらすじ】

堅実な政府高官の夫、そして幼い息子と幸せな家庭を営むアンナは浮気が絶えない兄と兄嫁に助言をするためにモスクワに来たが、駅そして舞踏会で若い貴族のウロンスキ-と出会った後、ウロンスキ-に御しがたい恋心を覚え、ウロンスキーもまた婚約者を忘れてアンナを追い求める。アンナとウロンスキーの仲が社交界で公然と知られるようになり、アンナの夫が名誉を守るための措置を取って後戻りが許されなくなった状況でウロンスキーの婚約者は去り、アンナはもはや妻と母の地位を捨てざるを得なくなる。

 

【かわまりのレビュー】

グレタ・ガルボヴィヴィアン・リー岩下志麻の日本版(NHKドラマ)の三つとどうしても比較してしまいます。NHK銀河テレビ小説だった日本版はもう見ることはできないけれど、これが一番好きでした。キーラ・ナイトレイの知的な風貌は不倫にのめりこむ奥様には向いていないと思うんですけれどね。女優として同じくらい知性を感じさせる岩下志麻が演じたアンナは非の打ちどころのない夫に対して「あなたが構ってくれないからよ。」という主張をしていたし、ヴィヴィアン・リーのアンナは情念と妻や母の地位を守ろうとする理性との葛藤を鬼気迫るほどの迫力で表現していました。もっとも、これは夫役のキャストに負うところも大きいです。本作の夫役も十分真面目で堅実な雰囲気を出していましたが(あくまでも主観的な意見ですが)ヴィヴィアン・リー版と岩下志麻版では中年の魅力がもっとたっぷりの俳優さんが演じていたように思います。本作の最初のほう、アンナとウロンスキーが出会う舞踏会の踊りの振り付けが全然社交ダンスっぽくなく、インドかアラビアのダンサーのように上半身(特に腕)の複雑な動きに終始していたのが良く言えば官能的、悪く言えば場違いでキモかったです。 コスチューム部門アカデミー賞に輝いただけあって視覚的効果は抜群でした。

 

全員集合

https://jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=21008

 

秀逸なコメント(6点)

《ネタバレ》 キーラ・ナイトレイは、確かに大変な美女だけれども、どうにもその笑い方に品がなく、また、致命的に色気がない女優さんである。まあ、ソフィー・マルソーのアンナもイマイチだったのだが、まだ彼女は男に惑い惑わされ、というのに説得力がある。・・・というわけで、キーラがアンナを演じるということと、過去に何度も映像化されていることを考えると、この演出は大正解であったと思う。非常に工夫された、それでいて無理がなく面白い方法だった。どこかコミカルな趣を感じさせてくれたのは有り難い。これでシリアス路線まっしぐらだったら、悲惨だったと思うので。ただ、あの社交ダンスの踊りは???であった。腕をうねうねさせて、あんなの初めて見たゾ。ああいうのが、当時のロシアで流行ってたのかしらん? それにしても、アンナという女性は、超が付く身勝手なお人。若い愛人に走るも、夫に戻り許しを請うたかと思えば、やっぱり愛人を愛していると言い、愛人の愛も信じられなくなり発狂、薬漬け、自死・・・、と、まあ当然のルートを辿るので、見ている方は同情も何もなく、ふむふむ、そらそーだろ、としか思えないというか。夫も愛人も、何だかなぁ、という印象で。しかし、「愛」って何なんですかねぇ。肉欲が盛んな頃は、単なる発情期であって、愛してる、ってのとはちと違う気が。発情期を過ぎた後、それでも、愛しい、会わずにいられない、その人のことを思わずにいられない、というのが愛情の芽生えでは。そういう意味じゃ、アンナは発情期を愛と勘違いしたまま、勝手に死んじゃった、ということもできるかな。随分意地悪な見方だけど。歳をとると、人を愛することって、そんな単純な話じゃないでしょ、とか思っちゃって、ダメだねぇ。勢いで突っ走る、そう、それも愛でしょ。そーでしょ。そう思いたい、若いころのように。【すねこすり】さん [ブルーレイ(字幕)] 6点