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【読書ルーム(158) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 結論 】

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【本文】

アインシュタイン、ボーア、ハーン、フェルミ、ローレンス、シーボーグなどの巨人によってもたらされた、ウラニウムプルトニウムを源として核分裂から得られる原子の火は、米国スリーマイル島原子力発電所炉心溶融事故やソ連チェルノブイリ原子力発電所放射能漏れ事故などの貴重な教訓を残しながら今もなお燃え続けている。


世界で唯一の被爆国でありまた世界で有数の地震国でもある日本では二○一一年の東日本大震災とこれに引き続く津波によって東京電力福島第一発電所炉心溶融を含む未曾有の事故が引き起こされ、多数の住民が故郷を捨てて避難することを余儀なくされた。自然の猛威に対するわれわれ人類の謙虚さが問われたこの出来事はいまだ解決を見ておらず、従来の物理学者、放射線化学者、原子力工学の専門家に地震学者を加えた新たなプロメテウス達の活躍が期待される。


一方、水素やリチウムを用いる核融合は二十一世紀の初頭になってもその莫大なエネルギーを制御する方法が知られていない。そして、核兵器アメリカ、イギリス、ソビエトなど超大国などによって保有されるだけではなく、ソビエト崩壊後の世界において中国、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮など、旧来は発展途上国だと考えられていた国々によっても保有されるに至った。しかしながら、人類史上初めて核兵器の故意の使用による大規模な殺戮と破壊が広島において行われた後、第二次世界大戦終結から六十年以上を経た今なお、広島へのウラニウム爆弾投下のわずか三日後に起きた長崎へのプルトニウム爆弾投下が、人類史上最後に起きた核兵器行使の例に留まっている。


マンハッタン計画は後世に残る業績を達成した、ノーベル賞受賞者だけを挙げてもでも十指に余る科学者を輩出した。戦争中において宗教上の理由から決してマンハッタン計画には一切関わらず、ナチス政府を嫌ってイギリスに帰化したマックス・ボーン(ボルン)は、ドイツの原子力開発計画で中心的な役割を担ったヴェルナー・ハイゼンベルク(一九三二年)、アメリ原子力開発計画の水先案内人(パイロット)となったエンリコ・フェルミ(一九三八年)、スイスで理論物理学に専念したヴォルブガング・パウリ(一九四五年)らの教え子たちに遅れ、一九五四年にノーベル賞を受賞した。ローマでフェルミの片腕として中性子照射の実験に携わり、リュックサックを背負ってローマの街に元素の買出しに出かけたエミリオ・セグレは一九五九年にアメリカ人としてノーベル物理学賞を受賞し、ローレンスの教え子で日本に原子爆弾を落とした戦闘機エノラ・ゲイに追随して長崎上空で日本人の同輩に宛てた手紙を投下したルイス・アルヴァレスは一九六八年にノーベル物理学賞を受賞した。ナチス・ドイツ原子爆弾開発するやもしれないという悪夢に捉えられてシラードと共にロングアイランドで休暇中のアインシュタインのもとに車を走らせ、フェルミが完成した世界初の原子炉をプルトニウム生成のための増殖炉に改造したユージン・ウィグナーは量子力学発展への貢献を理由に、ロス・アラモスのオッペンンハイマーのもとで理論部の部長を勤めたハンス・ベーテは太陽などの恒星が輝くしくみを解明したことを理由にそれぞれ一九六三年と一九六七年にノーベル物理学賞を受賞した。現代の錬金術師グレン・シーボーグは一九四四年に原子番号九十五番の人工元素アメリシウムの生成に成功したが、その後も単

 

独または協働で原子番号百三番に至るまでの多くの人工元素を生成し、新元素生成の理論と方法を提唱した物理学者のマクミランと共に一九五一年にノーベル化学賞を受賞した。ニールス・ボーアの息子アーゲ・ボーアは一九七五年に数人の科学者と共同でノーベル物理学賞を受賞した。この他、理論の
基礎を築いたプランクアインシュタイン、ボーアらの年長の物理学者らと並んでマンハッタン計画開始以前にノーベル賞を受賞したジョリオ=キューリー夫妻、サイクロトロンを開発したローレンス、重水の発見によってノーベル化学賞を受賞してマンハッタン計画においてはガスによるウラニウム235の分離に携わったユーリー、それから核分裂を確認したオットー・ハーンやイシドール・ラバイら、マンハッタン計画に関連して第二次世界大戦中にノーベル賞を受賞した科学者も後世にまで名を残すであろうcix[25]。


自然の神秘に挑む科学者たちの姿勢は古今を通じて不変である。しかし、科学者中の戦士とも言うべきジェームズ・フランクと預言者とも言うべきレオ・シラードが日本への原子爆弾投下に頑強に反対して政府への意見書を起草し、シーボーグら次世代を担う科学者がこぞって二人の考え方に共鳴してその意見書に署名したように、マンハッタン計画においてなくてはならない重要な役割を果たしたオッペンハイマーがその後一貫して水素爆弾の開発に反対したように、またフェルミ、コンプトン、ラバイ、ベーテら、大勢の名だたる科学者たちが、科学者の良心を代弁して国家権力に対抗したオッペンハイマーを敢然として擁護したように、あるいは生来内向的で寡黙だったマンハッタン計画の「ローマ法王ニールス・ボーアが国連という国際舞台において声を大にして知識の分野における国境の撤廃を説いたように、科学者たちはもはや自分達の研究成果が一人歩きして大量破壊や大量殺戮を引き起こすのを手をこまねいて静観したりはしないのである。

(完)

 

【参考】