かわまりの映画評と創作

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【映画ルーム(91) 容疑者Xの献身 〜 愛で物理現象は。。。8点】

【かわまりの映画ルーム(91) 容疑者Xの献身 〜 愛で物理現象は。。。8点】平均点:6.67 / 10点(Review 181人)  2008年【日】 上映時間:128分  クレジット(配役と製作者)などについては次のURLをご覧ください。 https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=16044

 

この内容全ての著作権はかわまりに帰属し、独り言を除く部分の版権はjtnew.jp に帰属します。平均点とレビューワー数はアップロード時のものです。


【あらすじ】

愛では物理現象は説明できない。だから物理学者の湯川は愛には興味がない。しかし大学の同期で二流高校で教鞭をとりながら数学理論に挑み続ける石神に再会した時、湯川は感じた。「石神は恋をしている。」石神は不可解な殺人事件の被疑者となった美人女性で弁当屋に勤める靖子とその娘の隣に住んでいた。そして天才数学者には完全犯罪など容易なのだ。人は愛のためにどこまで自分を犠牲にできるのか。天才物理学者と愛を抱いた天才数学者の知恵比べ。

 

【かわまりのコメント】

「石神は人を殺さない。殺す前に殺さなくてもいいように解決策を見つけるだろう。」という湯川。一見幾何の問題に見える関数の問題にはまってしまったんですね。全編を通じて堤真一の演じる不器用な数学者の演技にはまってしまいました。でももし石神が数学者ではなく、昨今の法律家大量生産のせいで仕事にあぶれて安アパートに住むしかない弁護士だったら落ち着いて「靖子さん。あなたがやったことは正当防衛。それが立証されれば無罪。悪く転んでも過剰防衛で微罪ですよ。」とアドバイスしたはずなんですけれどね。こんなこと法律の素人のわたしでも言えるけれど数学者には言えないのでしょうか?どんなに好きな相手でも正当防衛以外で人殺しをしたら百年の恋も冷めるし、逆を言えば恋が冷めないのなら優秀な弁護士に依頼して無罪を勝ち取る余地が十分にあるはずです。最初のニュースと爆発現象を説明する湯川のかっこよさ、雪山から見る広大なパノラマ、そして堤真一の好演のせいで点数は甘めです。

 

10 点満点の人のコメント

1. 《ネタバレ》 泣けた~。特に娘がしのび泣くシーン。孤独はやっぱりしんどい。生きてる事に虚無感を感じた人を救えるのは誰かとのかかわりでしかない。家族、親、友人、会社の同僚、そしてそれは例えば、なんのかかわりもなかった隣人だったりする。そんなつながりののなかで人は心を維持していけるのかもしれない。孤独を理解している数学者がふれた隣人とのかかわりは、隣人にとっては大した事でなくても、彼にとっては、生きてる喜びを感じれた救いだったわけだ。なんて思ってしまった。それにしても、東野は女性につくす男を描くのが好きだな~【なにわ君】さん [映画館(邦画)] 10点
2. これほど素晴らしい邦画を鑑賞できるとは、今まで日本人やってる甲斐がありました。切なさの描き方が超絶です。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。【gatto_grasso】さん [映画館(邦画)] 10点

3. 《ネタバレ》 この作品の争点は石神が取ったトリックが本当に意味があったのか?と言う点。

まず正当防衛について。遺体の状況からコードで首を絞められている事に娘が荷担していることが明らかなことから明確な意思がないと難しい犯行に殺意があったと思われても仕方なく正当防衛を主張するのは難しかったと思います。加えて、親子共に逮捕される事になれば仮に正当防衛が認められても開放されるには数年がかかるでしょう裁判費用、あらぬ噂により親子は今まで通りの生活を送る事は困難と思います。 また他の犯罪を犯さずとも"現時点"でバレてないじゃないかシンプルに最初の遺体をバレないように処理した方が早いとの考え方もありますが確かに犯罪組織のように完全に遺体の出ないやり方があり確実でしょうがそれ言ったら物語になりません。処理をする特別な環境を持たない一般人が短時間に、かつ自分一人の力で遺体を処理できる方法考えるなら遺体をバラバラにし海や山に捨て時間稼ぎをするぐらいが落とし所でしょう。
時が流れ遺体が発見された時、腐敗が進んで居れば殺害日や殺害方法は判別できない可能性が高い。
しかし科学捜査から遺体の身元が割れる可能性は否定できず、もし身元が判明すれば
交友関係や行方不明当日前後の行動からいつか、あの親子に捜査の手が忍び寄る可能性は完全に否定出来ない。そうなれば意思が弱く自供するかもしれない、それではあの親子を守る事ができない。
だからこそ石神は、あえて新たな殺人を犯し"最初から"自分が出頭する事で完全にあの親子を守る策を練ったって事です。
つまり親子には一定期間捜査追及から逃れるだけのアリバイを与え、その間に自分は計画通りに出頭して罪を認め裁判の一審で上告せず罪を受け入れ一事不再理により、あの事件で親子が法で裁かれる
可能性を完全に無くす事ができる。一度死んだも同然の命。残りの命をあの親子の為に捧げる決意の犯行。つまり最初の段階でどうにか隠せば逃げ切れる可能性が高かったねって話では無く

犯罪から逃げ切れる可能性の追及よりも、自ら罪をかぶり親子を完全に守ろうとする話なんです。
ただ、そこに湯川や花岡親子の心など微妙なバランスの上にしか成り立たないこのシナリオは最後に崩壊を迎える。それがこの物語の大筋ではないでしょうか。

石神はなぜ人生に絶望していたか、それは具体的には語られて居ませんが華々しい活躍をする湯川とは対照に好きだからやっていた数学とは言え有り余る才能を受け止められる受け皿はなく
誰にも才能を評価されず、誰も彼の本当に語りたい事に耳を傾けない環境は孤独と絶望の灰色の世界で生きていたのだろうと容易に想像する事ができます。人との繋がりが無い世界は自分の存在価値を消し去る理由になり得るでしょう。
そんな中、隣に引っ越して来てくれた親子が自分に少しだけ接してくれた。弁当を買うとき不器用な自分に声をかけてくれる、屈託のない生活の物音がそれまで孤独で灰色だった世界に、ほんの少しの色を与えてくれた。もちろん親子は石神に普通に接しただけで特別な事は何もしていない。だが、その事が生きる上でどれほど大きいことか…そんな僅かな色を与えてくれた環境が、殺人により終わりを迎える事が解った時せめて、この親子だけは色を失わずに居て欲しくて、自ら捕まる事で自分一人が、また色のない環境に彼は戻って行く決意をしたのでしょう。
留置所の天井の傷やシミで四色問題を解くシーンは秀逸です。もう親子と会うことは許されず、また色のない世界で孤独に色を付ける作業だったのではないでしょうか。

湯川は冒頭で愛などと言う非論理的な物は誰にも解けない。考えるだけ時間の無駄だと。
石神と再会した時、若々しさを羨ましがる彼は「恋をしている」そう導いたが求める答えにはほど遠い。
本来、犯罪動機に興味のない湯川が始めてそれに向き合い苦悩する。雪山で事件について石神に迫った時「本当は最後まで証明できていないんじゃないか?」と問われ答えられない湯川。
後日、取調室で雪山で出来なかった話の続きを始めるが「なぜそこまでして彼女を守る…」と問いかける湯川に石神は答えずドアを閉めて出て行く。学者である湯川には非論理的難問を最後まで解くことが出来なかったように思える。そして、それは石神もまた同じ。完璧だと思った計画は花岡の心によって破綻する…。

「石神は罪を犯してしまうほど深く人を愛せた」と語る湯川に内海は「石神は花岡靖子に生かされていた」とそっと呟く。それを聞いた湯川の表情は、ようやく真の答えに一歩迫る事が出来たように思えた…。【デミトリ】さん [DVD(邦画)] 10点

9点の人のコメント

https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?POINT=10&TITLE_NO=16044

7点(最頻出点)の人のコメント

https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?POINT=8&TITLE_NO=16044

0点と1点の人のコメント

1. 《ネタバレ》 知り合い(しかも2人)がこの映画を観て号泣した、と言っていたので、そんなに面白いのか!と期待して鑑賞しましたが・・・。全然関係ないホームレス殺してるやんけ!いくらなんでもそれは酷すぎでしょう。私個人のハナシですが、私も仕事こそしていても一人暮らしで孤独に暮らしてるので(汗)、金曜に殺されたら恐らく水曜日くらいまでは誰にも気づかれないような人間なわけです(汗)。そんな感じなんで、この映画の中でホームレスが殺された事実を知った時、まるで自分が殺されたような気分になりました。その後、いくら堤真一松雪泰子が熱演しようとも、「ふざけんじゃねえ!」と怒り心頭でした。ここ数年で最悪の映画。テメエら全員地獄に堕ちろボケ!【ゆうろう】さん [DVD(邦画)] 0点
2. 《ネタバレ》 「好きな人を助けたいなら殺人OK」と推奨する映画。なぜなら、主人公による殺人を「美談」にしてるから。私はホームレスは嫌いで、近くにいたら息(呼吸)を止める。でも殺してもいいとは思わない。だって同じ人間じゃないか(棒読み)。ところで、ゴダイゴのヒット曲『ビューティフルネーム』が好きだ。「♪なまえ、それは、もえる、猪木」。たぶん石神は、殺したホームレスの「人の名前」を知らない設定。

「愛する女性を救うため仕方がないんだ。あんたが誰か知らないが、悪いが死んでくれ!」
「はァ?」

今敏監督の映画『東京ゴッドファーザーズ』が好きだ。ホームレスといってもね、色んな境遇の人がいると思いますよ。挑戦して大失敗、保証人で夜逃げ、家出など。殺人は起こる。だって人間だもの。でも、人を道具扱いして殺した男の物語を「美談」にしてるこの映画はね、やっぱりね、ダメですよ。

★文句無しに0点!

【追記】
サム・ライミ監督作『スペル』の主人公の女性は、死の宣告を他人に肩代わりしてもらえる人を探す。たとえばホームレスを見るとき、迷い、罪悪感を感じる。
だが、この映画の主人公の男は、愛する女性が逮捕されないためにホームレスを殺し、罪悪感がない。テレビ放送ではそう思ったし、主人公はホームレスの人生を完全に無視していた。それが人間の現実かもしれない。だが映画でそれは困る。【焼肉の掟】さん [地上波(邦画)] 0点

3. 《ネタバレ》  自分の母は特定のホームレスの人から雑誌を買うことが習慣で、その人がいないと病気じゃないかしらと心配しています。その他ホームレスの人たちのために何かしらできることをやってる人が何人か知っています。 そういう人々がこの映画観たら何と言うでしょうね?

「ざけんじゃねえよ、何が愛だ、何が献身だ、なぜそんなものの為に無関係の人間が殺されなければならない、何故ホームレスというだけで命まで軽く扱われなければならないんだ」と。
 ストーリーを否定するわけじゃありません。現代の科学捜査の発達とか考えるならば、本当の死体が見つかって身元がわかる可能性は否定できないから、その前に別の死体を用意して誤認させるというのは、よく考えられたトリックだと思いますよ。
 ただ「ホームレス殺人」の扱い方の軽さ・酷さがどうしても。 まず石神。確かに変人としての描写はあります。ただ、メインは愛する母娘を守るために、犯罪を犯した哀れな献身的な愛情の持ち主としての描写であって、無関係なホームレスを冷酷、無慈悲に、自分のスキームを実行するために、何の思いやりもなく殺した殺人者としての描写は皆無です。
 次に湯川、彼の心を占めるのは優秀な頭脳を持った、心の優しい?友・好敵手が愛情の為に、恐ろしい犯罪を犯してしまったことへの悲しみ、憤りであって、何も罪のないのに殺されたホームレスに対する同情、悲しみは彼の意識の片隅にすらありません。(少なくとも映画では、そういう風に受け止めました) 靖子の号泣もそうですよね。あの時彼女の心を占めていたのは、石神の自分への献身の大きさ、犯罪まで犯してくれたことへの申し訳無さであって、殺された人間への申し訳なさとかは無かったわけで。 その他、登場人物の中で、ホームレスが殺されたことに関して、悲しみ、怒りなどを誰も表現していません。
 結局、製作者(原作未読なんで敢えて原作者とは言いませんが)の意識の中での、ホームレスの命の価値は、トリックのための「道具」であり、それ以上でもそれ以下でもないんでしょうね。
 酷いなあ。全く無関係な全く罪の無い人間が殺されながら、そのこと自体の重さが全く表現されないって。 人の命の重さが身分によって当然のごとく判断される(あるいは判断以前に無意識に区別される)映画が大ヒットして、そのことに違和感を持つ人間がほとんどいない………【rhforever】さん [DVD(邦画)] 1点

4. 《ネタバレ》 rhforeverさんと、かずいちさんの意見に賛成! 公開時、なんか評判よかったのでレンタル出てから観てみたら、つまらないし陰気すぎだし、TVドラマのイメージなんてすぐに消えてしまいました。それに、堤真一の演技がどうにも生理的に受け付けなかったです。最後の泣き崩れ方とか、もうホームレス殺害のこととか関係なくイラッとしてしまいました。全く同情できないし、あの泣き崩れた姿を思い出すと、蹴飛ばしたくなるんです。たかが映画の登場人物に、蹴飛ばしたくなるほど嫌悪を感じるなんて多分初めてです。あの演技はホント生理的に無理!! 【2014/7/29追記】僕も人生に絶望気味になった時、ある女性の笑顔に救われたことあります。なので堤真一演じた役の心境はわからなくはないですが、あれハッキリ言ってストーカー的に気持ち悪くないですかね? 「隣に越して来た女性が綺麗じゃなかったら…」って話しが上がってますが、この物語のネクラなストーカーも堤じゃなければ、どうなのよ? 一方的で勝手にことを進めて、相手の気持ちとか無視してるのと同じ。見栄えのさえないキモオタが一方的に女を好いて勝手に関係ない人殺してごちゃ混ぜたら、どんな気分なんですかね?【だみお】さん [DVD(邦画)] 1点

 

【独り言】

低い点数をつけている方に共通しているのは「殺人(特に第二の)を肯定しているのが許せない」ということです。そんなものじゃないと思うんですが。。。 殺人を扱った推理小説が全て殺人を肯定しているのなら殺人犯の手口が一般的にもう少し巧妙であってもいいはずなのですが。。。 そうではないようです。本作品における殺人は社会における最大のタブーの象徴、そして本作品が投げかけている問題は最大のタブーと本来は最高の幸福をもたらすはずの愛が相入れるのか否かということのような気がします。その点、数学者の石神は殺人において愛われる愛が最少になるよう相手を選びました。愛情の極大化と極小化問題の解を与えたわけです。今までにない観点が本作品を重厚なものにしています。