かわまりの映画評と創作

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【読書ルーム(53) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【かわまりの読書ルーム『プロメテウス』第2章  新時代の錬金術師たち〜水先案内人(パイロット)が新大陸に達する 3/3 】


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【本文】

フェルミ一家が乗った汽車がドイツ領内に入ると、武器を携えたドイツ兵が車両に乗り込んでフェルミの妻を震撼させ、八歳になる感受性の強いフェルミの長女までが不穏な空気を感じたのかフェルミにぴったりと寄り添った。


フェルミ一家のうち、名実ともにユダヤ人でないのは一家の長でノーベル賞受賞者フェルミだけだった。フェルミの妻は夫の決断が正しかったことを身をもって知り、フェルミはイタリア語で妻や長女を陽気に励まし続けたが、一度は車両に乗り込んでいたドイツ兵がフェルミ一家全員のパスポートを取り上げて姿を消し、フェルミの妻だけではなくフェルミまでもがノーベル賞授賞式に出席できないか、あるいはここで妻子と別れて一人でノーベル賞授賞式に臨み、フェルミだけが単身でアメリカに渡らなければならなくなるという最悪の可能性がフェルミ夫妻の頭をよぎった。ドイツ国内ではユダヤ人の旅行さえも大幅に制限されていたので、どんなに良くしてもフェルミを除く四人のパスポートに「ユダヤ人」のスタンプが押され、列車がドイツ領内を通過するまで一家が面倒で不快な思いをすることは避けられないだろうとフェルミ夫妻は思っていた。しかし、五人のパスポートを携えて戻ってきたドイツ兵はフェルミに対して最敬礼をして全員のパスポートを返した。「ユダヤ人」のスタンプはどのパスポートにも押されてはいなかった。フェルミがドイツ領事館で取得した通過査証とその理由であるノーベル賞授賞式への出席というのがドイツ兵の態度の理由だったことは明らかで、一家はドイツの一般人にまで行き渡っている科学や科学者に対する尊敬の念を改めて垣間見た。汽車がドイツ領内を抜けると中立国スエーデン、そしてその先の自由の国アメリカは目前だった。


その年、ノーベル化学賞と医学・生理学賞には受賞者がなく、ノーベル文学賞を受賞したアメリカのパール・バックフェルミは授賞式・講演や晩餐会など通じて肩を並べる機会が多かった。アメリカへの移住を心に決めていたフェルミアメリカ人作家パール・バックと晴れの場所で席を同じくしたことは奇しき出会いだった。パール・バックアメリカと太平洋をはさんで向かい合う旧大陸から中国人民の息吹を小説に託して伝え、フェルミは大西洋をはさんで向かい合う旧大陸からアメリカへ知識と頭脳をこの時まさにもたらそうとしていた。


ノーベル賞授賞式の全てが終わり、妻と二人の子供、養育係りの四人を率いたフェルミはまず、ストックホルムから汽車と船でわずかの距離しか離れていないデンマークコペンハーゲンに赴き、理論物理学界の重鎮であるニールス・ボーアを表敬訪問して原子物理学の将来について自由に意見を交換した。その後、クリスマスの直前にフェルミ一家は冬の大西洋を横断する客船に乗り込み、希望と興奮に満ちた航海が始まった。今すぐローマに戻れば行われるかもしれない国を挙げてのノーベル賞受賞祝賀会xxiii[7]などがあればフェルミにとっては想像したくもない虚飾であり、フェルミは妻子や他の一等船客らと共に船上でのクリスマスを心から楽しんだ。ローマ大学に正式の辞表を提出し、フェルミは天涯自由の身だった。フェルミにはノーベル賞の賞金として得た自由に使える金があった。アメリカに到着した後はコロンビア大学では理学部学部長のペグラムが、物理学者のイシドール・ラバイが、重水を発見して一九三四年にノーベル化学賞を受賞したユーリーが、あるいはミシガン州立大学アン・アーバー校に就職している朋友サミュエル・ゴードスミット(オランダ語 = ハウシュミット)が、そしてカフォルニア州立大学の助手となった後輩のエミリオ・セグレ、実験物理の大家ローレンス、ゲッチンゲン大学のボーン教授門下の後輩であるオッペンハイマーらがフェルミを暖かく迎えるはずだった。フェルミにとってはローマ大学の終身名誉教授の地位や「閣下(エクセレンツァ)」の称号よりも学問の自由のほうがはるかに価値があったxxiv[8]。


こうしてイタリアきっての頭脳でローマ大学の終身教授だったエンリコ・フェルミムッソリーニファシズムに席巻されたイタリアを去ってアメリカに渡った。この時から四年後、ジェノバ出身のイタリア人クリストファー・コロンブスアメリカ大陸を望見してから約四百五十年後の一九四二年十二月二日、エンリコ・フェルミアメリカ中西部のシカゴ大学の金属研究所において世界で初めて継続的な核分裂の連鎖反応を惹起することに成功し、その頃すでに世界大戦に参戦していたアメリカの原子爆弾開発プロジェクト、いわゆるマンハッタン計画において正に水先案内人(パイロット)の役割を果たすことになるのである。

 

【参考】

パール・S・バック (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF?wprov=sfti1

 

ニールス・ボーア (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A2?wprov=sfti1

エミリオ・セグレ (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%B0%E3%83%AC?wprov=sfti1