かわまりの映画評と創作

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【読書ルーム(52) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【かわまりの読書ルーム『プロメテウス』第2章  新時代の錬金術師たち〜水先案内人(パイロット)が新大陸に達する 2/3 】


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【本文】

ノーベル賞受賞という一世一代のその栄誉がこともあろうにアメリカ移住を秘密裏に進めている最中に与えられるということは何を意味しているのか、フェルミは妻と語り合った。すでにコロンビア大学に決めて他大学からの誘いは断ったが、アメリカでの就職口はノーベル賞受賞によって影響があるはずがなかった。しかし、もしフェルミノーベル賞を受賞した後にイタリアに戻れば、ムッソリーニ政権やローマ大学が何としてでもフェルミを国内に留め、決してイタリアからの出国を許さないことは容易に想像できた。したがって、フェルミと妻はノーベル賞の授賞式にかこつけて出国し、そのままノーベル賞委員会からイタリアへの復路として支給された切符を捨ててアメリカに向かうしかないという結論に達した。家財道具もローマ大学での授業も放り出してアメリカに渡るしかないのである。そしてもしフェルミノーベル賞受賞が確かなら、あと二ヶ月しかなかった。フェルミと妻は焦った。
果たして、十一月の始めの早朝、ストックホルムからだという電話が入り、フェルミの妻ローラが受話器を取った。フェルミはまだ寝ていたのでローラがそのとおりを伝えると、電話の主は夕方にまた電話すると言った。


その日は大学の授業が通常どおりにある日だったが、フェルミは学校を休み、妻と二人でレストランや高級商店をわたり歩いて最後になるかもしれないローマでの自主休日を楽しんだ。
「こんなにお金を使って、もしあなたがノーベル賞をもらえなかったらどうしましょう。」と言う妻をフェルミは心配することは何もないと言ってなだめた。今年度のノーベル賞受賞が水泡に帰しても、すでにアメリカへの永住ビザを取得していたフェルミの一家にはアメリカでの未来があった。加えて、イタリア政府はイタリア通貨の外国への持ち出しを制限していたので、フェルミ一家はなるべく多くの値打ちのある品物に貯金を換えて持ち出す必要があった。


その夜、フェルミの家にはノーベル賞受賞の可否を問う友人や同僚からの電話が相次いでかかってきたが、ストックホルムからの電話はなかなかかかって来なかった。もしやと思いながらラジオのスイッチを入れたフェルミ夫妻の耳に飛び込んできたのはユダヤ人に対する更なる権利制限が施行されたというニュースだった。ラジオのニュースはユダヤ人の公職からの追放、ユダヤ人医師や弁護士による非ユダヤ人へのサービスの提供の禁止、ユダヤ人の子供の公立学校からの締め出し、さらにはユダヤ人に対するパスポート発給の停止などを告げた。フェルミ一家にとっては一刻の猶予もならなかった。ストックホルムからの連絡の後、フェルミとその妻は全てを神に感謝したに違いない。当初予定していた来春のアメリカ移住ではフェルミの妻子が出国できる保証はなかったのである。ノーベル賞受賞はフェルミ一家のアメリカ移住を半年間前倒しにして確実なものにしたが、一方でフェルミ一家は海路直接アメリカに渡るのではなく、ノーベル賞委員会が旅費を負担して指定した旅程に従い、イタリア以上に厳しいユダヤ人政策がすでに実行に移されているドイツ国内を汽車で北上する陸路をたどらなければならなかった。


一九三八年十二月六日、故国イタリアからの別離を決めて一家のアメリカへの永住ビザを密かに手にしたフェルミ夫妻は複雑な感情を押し隠し、笑顔で人々の祝福に答えながらスエーデンのストックホルム経由でアメリカに渡るために幼い二人の子供、養育係りとともにローマ駅からアルプス越えの汽車に乗り込んだ。授賞式前後の関連行事への出席や観光を含めても半月にも満たないはずの旅行に妻子ばかりか使用人まで連れ、山のような荷物を携えていることは「授賞式の後、アメリカの大学で一学期間、客員教授として教えることになっているから。」とフェルミは説明し、周囲は誰もその説明の真偽を疑わなかった。フェルミは史上最年少でローマ大学の終身教授に任命され、イタリア・アカデミーの会員でもあり、イタリアでは終生、栄誉と尊敬を集める人生が約束されているのである。ただ、フェルミの真の意図を前もって告げられ、フェルミの後継者としてイタリアで次世代の物理学者を育成するという大役を託されていた物理学者アマルディの妻は出立しようとしているフェルミの妻に不機嫌な顔を向けた。


フェルミの妻は夫に感謝すると共に、夫の行為は教え子たちに対する裏切りではなく、イタリア政府に対する抗議なのだと自分に言い聞かせた。フェルミの頭の中にはノーベル賞受賞後のアメリカでの自由な研究生活のことしかなかった。