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【映画ルーム(特番) コペンハーゲン 〜 原子力開発について知っておくべきこと 10点】

【かわまりの映画ルーム(特番) コペンハーゲン  〜  原子力開発について知っておくべきこと 10点】平均点:n.a./ 10点(Review 1人)   2002年【英】  上映時間:90分  

参考: IMDB での評価: 7.4/10点(review:109人)    

このブログがアップロードされた時点では本作品を字幕付き、あるいは吹き替えなどで鑑賞することはできません。また日本地域コードのDVDやブルーレイは市販されていません。

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脚本: マイケル・フレイン

監督: ハワード・デイヴィス

ウェルナー・ハイゼンベルク: ダニエル・クレイグ

ニールス・ボーア: スティーヴン・レイ

マルグリータ・ボーア: フランチェスカ・アニス

 

【あらすじ】

物理学者のボーアとハイゼンベルクの間に国籍を超えて培われた友情は戦争勃発と同時に変化せざるを得なかった。1941年秋、ナチス占領下のコペンハーゲンに居残るユダヤ系のボーアを教え子でドイツ人のハイゼンベルクが訪れた。その際に2人の間で交わされた会話が日本に投下された原子爆弾とその後の核拡散の原点になったのではないか.... 死後もなお疑念を払拭できない2人の魂が1941年(第1幕)と現代(第2幕)のボーア邸を訪れ、ボーアの妻を証人として原子力開発の過程で起きてしまった取り返しのつかない誤解について互いを非難し、自己を弁護する。

 

【かわまりによる解説】

目下、アメリカで市販されているこの作品のDVDを再生すると、まず原作の戯曲を書いた脚本家マイケル・フレインが登場して本作品の脚本を書いた意図を説明し、次に日系アメリカ人でニューヨーク市立大で物理学を教えるミチオ・カク教授が原子力の原理について解説するが、わたしが作品の副題として勝手につけた「原子力について知っておくべきこと」というのはこの二人のどちらの弁でもない。カク教授の説明は作品の細部に耳を傾けた際に理解してうなづく内容であり、また原作者フレイン氏の「恩師ボーアを訪れたハイゼンベルクの意図は今なお不明でその謎に焦点を当てたかった」という弁は事実として間違っている。ハイゼンベルクコペンハーゲンを訪れたのは天文物理学の講演を依頼して旅費や滞在費を負担してくれるスポンサーがいたからであって、その際にボーアに会って旧交を温めるのはボーアの愛弟子だったハイゼンベルクにとって当然の成り行きだったのである。

 

作品本体の巻頭、物憂げなBGMとともにボーア夫妻が登場し、ボーアの妻が「もう死んでから何年も経つのにあなたはまだ同じことばかり考えているのね。」と夫をなじりながら降りてくるバスの外側には ミュージカル“Phantom of the Opera” の広告が掲げられていて時が現代であることを示している。しかし夫婦が自分達の旧邸に向かうにつれ、タイムスリップしたように風景は1941年へと移ろう。二人は幽霊、あるいは肉体を脱ぎ捨てた魂であって現代のコペンハーゲンで道行く人々やジョギングをする人の目には見えないのである。そして同時にハイゼンベルクもベルリンからコペンハーゲンに向かうユーロ鉄道の特急列車に乗ってつれづれなるままに現代の新聞を読んでいるのだが、終点のコペンハーゲンで下車したのは汽車に牽引されていた車両からである。

 

ここまで細々(こまごま)と書いたが、原子力開発について我々科学者以外の一般人が知るべきことはこの二人の物理学者がなぜ死んでも死に切れない思いでタイムスリップしたり現代に彷徨(さまよ)い出てきたかということなのである。是非、日本の映画ファンに最初から最後まで観て頂いて二人の物理学者の思いを汲んで欲しいのだが、2019年時点で原作者はこの秀逸な作品の吹き替え版どころか外国語の字幕や聴覚障害者用のキャプションを入れることさえ許可していないので気長に日本でこの作品が公開されるか放映されるのを待つしかない。

 

なお、動乱の時代にあって原子力開発に携わった科学者達の中には時代の波に抗(あらが)ってアクション映画の主人公ほどの冒険を冒して自らや家族の身を守り、学問の自由を求めた者も多かった。ドイツからバイオリン一丁を携えて妻とともにアメリカに渡ったアインシュタインの話はあまりに有名であるが、ベルリンで研究に没頭して言ってみれば逃げ遅れて旅券なしで家財道具もそのままでオランダ、そしてスェーデンに逃避行したユダヤ系女性物理学者のリーゼ・マイトナー、またノーベル賞の授賞式にかこつけてユダヤ人の妻子と共にイタリアから出国し、そのままアメリカに亡命したといわれているエンリコ・フェルミ(実際にはニューヨークのコロンビア大学から永住権のスポンサーを既に受けていて、ノーベル賞受賞は偶然だった)など、この時代に冒険を冒した科学者は枚挙にいとまがないが、この中にあって最も安定した、あるいは居住地の面では最も落ち着いた人生を送ったのは「ドイツがわたしを必要としている」と自認していたハイゼンベルクだった。そして戦前も戦後もデンマークに居住したものの、最も劇的な冒険を強いられたのはハイゼンベルクの師のニールス・ボーアだった。ボーアは第二次世界大戦勃発時からイギリス諜報部と接触があり、命を保証する代わりにコペンハーゲンに留まってハイゼンベルクを中心とするドイツ科学界の動向を探る密命を請け負っていたとされている。真相は闇の中であるが、温和な国民性で知られるデンマークで終にオランダやポーランドと同じくナチスドイツがユダヤ人迫害を開始する直前にボーア夫妻は旅券もデンマーク通貨が入った財布の携帯も許されずにスェーデン語が出来るイギリス人諜報部員と共に屋根のない漁船でデンマークを脱出してリーゼ・マイトナーが既に居を定めていたスェーデンに渡り、その後ニールス・ボーアは単身、パイロットだけの一人乗り戦闘機の荷物置きスペースにパラシュートと酸素ボンベとともに搭乗し、ニールス・ボーアの三男で後に父と同様ノーベル物理学賞を受賞することになるアーゲ・ボーアが待つイギリスに渡った。イギリス諜報部の威信をかけた救出劇だったようである。

 

【参考】

戯曲・映画作品「コペンハーゲン」 (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3_(%E6%88%AF%E6%9B%B2)?wprov=sfti1

 

ニールズ・ボーア (ウィキペディア)

ウェルナー・ハイゼンベルク (ウィキペディア)

リーゼ・マイトナーウィキペディア

エンリコ・フェルミウィキペディア

 

 

拙著 「プロメテウス達よ 〜 原子力開発の物語」では第三章 プロメテウス目覚めの最後の部分でこの歴史的な二人の科学者の会見に触れています。トニー賞を受賞したマイケル・フレインの戯曲にははるかに及ばないものの、戯曲では書ききれない細部も本作品のDVDに収められているハイゼンベルクの娘の証言などに基づいて描写しています。

作品目次

 

【『プロメテウス達よ』第3章  プロメテウスの目覚め〜コペンハーゲン 1/3 】

https://kawamari7.hatenadiary.com/entry/2021/08/25/184022